ローマにあるパンテオンのドームは、直径がおよそ四三メートルある。無筋のコンクリート、つまり鉄を一本も入れていないコンクリートで作られたドームとしては、いまも世界最大である。完成したのは二世紀、いまから一九〇〇年ほど前のことだ。
奇妙なのはその後である。これほどの材料を手にしていたのに、中世のヨーロッパはコンクリートをほとんど使わない。大聖堂は石を積み、木で小屋組を作った。人類はいったん、この材料を手放している。近代のコンクリートが登場するのは一八世紀の終わりから一九世紀にかけて、パンテオンから一六〇〇年以上あとのことだ。
技術は、放っておけば積み上がるものではない。
ローマ人は何を持っていたのか
コンクリートは、それ自体が石ではない。砂利や砕石といった骨材を、糊の役目をする材料で固めた人工の石である。この糊がセメントで、ローマ人が使ったのは焼いた石灰に火山灰を混ぜたものだった。ナポリ近郊のポッツオーリ周辺で採れる火山灰は、いまもポゾランと呼ばれている。
この組み合わせには、当時の他の材料にない性質があった。水の中でも硬まるのである。空気に触れて乾くことで固まるのではなく、水と反応して別の物質に変わる。だからローマ人は、海の中に木の枠を沈めて防波堤を作ることができた。乾かす必要のない接着剤を、彼らは持っていた。
そしてもう一つ、この材料には決定的な利点があった。熟練の石工がいらない。石造の建築は、一つひとつの石を寸法どおりに削り、積む技能に頼る。コンクリートは、型枠さえ組めば、あとは材料を運んで詰める作業になる。運ぶ人手と、材料の供給と、型枠を組む段取りがあればよい。帝国の各地に同じ規格の水道橋や浴場や港が現れたのは、この「技能を段取りに置き換えられる」性質のおかげだった。
なぜ失われたのか
では、なぜ消えたのか。よく「レシピが失われた」と語られるが、それだけではないだろう。
火山灰は、どこにでもあるわけではない。ポゾランを遠くの現場まで運ぶには、船と道と、それを維持する組織がいる。大量の石灰を焼くには燃料と窯がいる。何より、大型の型枠を組んで数百人分の労働を数か月まとめて投入する仕組み——資金と、指揮系統と、それを飲み込める規模の公共事業——が必要だった。
帝国の物流と財政と組織が縮めば、材料そのものは同じでも、それを使う条件のほうが消える。技術が失われたのではなく、技術が意味を持つ環境が失われたと言ったほうが近い。中世の建設は、地元で採れる石と、地元の石工の技能に戻っていった。それは後退ではなく、条件に合った解だったとも言える。
再発明と、鉄との出会い
一八世紀、イギリスの技術者ジョン・スミートンは、荒れる海に立つエディストン灯台の再建を任されて、水中でも固まる材料を探した。試験を重ねた末に分かったのは、純度の高い石灰石よりも、粘土分を含んだ不純な石灰石を焼いたもののほうが水中でよく硬まるという事実だった。純粋なものが優れているという常識の、逆である。
一八二四年、イギリスのジョゼフ・アスプディンが「ポルトランドセメント」の名で特許を取る。固まった色が当時の高級建材だったポートランド石に似ていた、という命名だった。ただし初期のものは焼成温度が低く、性能は安定しない。品質が揃うのは、一九世紀後半に高温で焼ける窯、とくに回転窯が普及してからである。ここでようやく、袋を開ければどこでも同じ強さが出る工業製品になった。
それでも、まだ足りないものがあった。コンクリートは押しつぶす力にはきわめて強いが、引っ張られる力にはほとんど耐えない。だから、圧縮しかかからないアーチやドームは作れても、両端で支えて中央に荷重がかかる梁や床は作れない。ローマがドームの材料としてこれを使い、梁には使わなかったのは理にかなっている。
答えは鉄だった。一九世紀後半、フランスの造園家ジョゼフ・モニエが金網を入れたセメントの植木鉢を作り、特許を取ったという逸話はよく知られている。引っ張りに強い鉄を、引っ張りがかかる側に埋める。この組み合わせが成立したのには、二つの都合のよい事情がある。鉄とコンクリートは温度による伸び縮みの割合がほぼ同じで、夏冬でも剥がれない。そしてコンクリートの中は強いアルカリ性で、埋まった鉄が錆びにくい。狙って設計されたのではなく、たまたま相性がよかった組み合わせだった。
鉄筋コンクリートが実用になって初めて、この材料は床になり、梁になり、柱になった。構造の計算法が整い、鉄が安く手に入り、鉄道でセメントを全国に運べるようになる。発明は、事情・環境・他の道具が揃って初めて意味を持つ。ローマのコンクリートに欠けていたのは配合ではなく、鉄と、計算と、それを必要とする都市のほうだった。
いま、最も多く作られている人工物
セメントとコンクリートは、現在、水を別にすれば人類が最も大量に使っている物質である。同時に、世界の二酸化炭素排出のうち無視できない割合を占める材料でもある。理由は二つあって、石灰石を一四〇〇度以上に焼くための燃料と、石灰石そのものが焼かれて分解するときに出る二酸化炭素だ。後者は燃料を変えても消えない。混合材で置き換える、排出を回収する、寿命を延ばして作る量を減らす——課題は、材料を発明することではなく、条件を組み替えることに移っている。
パンテオンのドームは、上に行くほど軽い骨材を使い、厚みを薄くしている。一九〇〇年前の現場が、材料の性質と自分たちの段取りの範囲を、正確に理解していた証拠である。
次回は「#48 板ガラス——溶けた金属の上に浮かべる、という解法」を予定している。 エレベーター、空調、コンクリートと来て、現代のビルの「壁」の話にたどり着く。
出典・参考文献
Adrian Forty『Concrete and Culture: A Material History』Reaktion Books, 2012
Robert Courland『Concrete Planet』Prometheus Books, 2011