人類を月に送った計算道具は何かと聞かれたら、多くの人は巨大な電子計算機を思い浮かべるだろう。だが実際にアポロ計画の技術者たちが軌道計算を検算するために手元に置いていたのは、もっと小さな道具だった。細長い定規のような形をした「計算尺」である。電卓もコンピュータもない時代、この道具一本でロケットの燃焼時間も、橋の強度も、発電所の設計も計算されていた。巨大な計算機と、掌に収まる一本の物差し。両者が並んで宇宙開発を支えていたという事実は、道具の歴史を考えるうえで示唆に富んでいる。
今回から、条件が変わったことで舞台を去っていった道具たちを追う「消えた道具」編を三回にわたって届ける。第一弾は計算尺だ。道具というのは、一度普及すれば永遠に使われ続けるわけではない。周りの事情や環境、そして別の新しい道具が現れることで、それまで完璧に機能していた道具でも役目を終えることがある。計算尺の物語は、まさにその典型である。しかもこの退場劇は、時間をかけてゆっくり進んだわけではなかった。数百年かけて築いた地位を、わずかな期間で明け渡すことになる。その顛末をこれから見ていこう。
掛け算を足し算に変える魔法——目盛りの正体
計算尺の原理は、1614年にジョン・ネイピアが発表した対数にさかのぼる。対数(たいすう)とは、ある数が10を何回掛け合わせてできているかを示す数値のことだ。例えば100は10を2回、1000は10を3回掛けた数なので、100の対数は2、1000の対数は3となる。ここで100×1000を計算してみよう。答えは100,000、つまり10を5回掛けた数だ。2+3=5。掛け算の答えの対数は、それぞれの対数を足し算しただけで求まっている。10の2乗×10の3乗=10の5乗——指数(10を何回掛けるかという回数)どうしを足すだけで、面倒な掛け算が単純な足し算に化けるのである。
この性質に目をつけ、対数の目盛りを刻んだ物差しを二本組み合わせて計算する道具を考案したのが、通説ではウィリアム・オートレッドだとされる。1620年代のことだ。仕組みはこうだ。物差しの目盛りは、数字そのものの間隔ではなく、その数字の対数に比例した間隔で刻んである。だから1から2までの距離より、2から4までの距離のほうが実は同じ長さになる(どちらも「2倍」を表す対数の差だからだ)。この物差しを2本並べ、片方の「1」の位置をもう片方の好きな数字にずらして合わせると、目盛りの上で二つの長さが物理的にくっつく。長さを足すという単純な動作が、実は対数どうしを足す計算になっており、結果として読み取れる数字は二つの数の掛け算の答えになっている。ペンも紙も使わずに、目盛りをずらして当てるだけで掛け算や割り算、さらには平方根や三角関数までもがすぐに求まる。これは当時としては魔法のような発明だった。ただし、対数という原理だけがあっても計算尺は生まれなかった。目盛りを寸分違わず刻む加工技術、そして持ち運べる大きさに収める工夫が揃って初めて、机上の理論は手のひらの道具へと姿を変えたのである。
3桁で十分だった時代——安全率という工学の知恵
計算尺には避けられない弱点があった。目盛りは物理的な長さで読み取るため、人間の目で識別できる精度には限界がある。一般的な計算尺で読み取れるのはせいぜい3桁から4桁までで、小数点の位置は目盛りには表れず、使い手が頭の中で判断しなければならなかった。では、その程度の精度で本当に橋や飛行機や戦艦を設計できたのだろうか。答えは「できた」である。当時の工学設計には、安全率(あんぜんりつ)という考え方が組み込まれていた。これは、計算で求めた必要な強度に対して、実際にはその何倍もの余裕を持たせて部材の太さや厚みを決める文化のことだ。計算そのものに数パーセントの誤差があっても、最初から数倍の余裕を見込んで設計しておけば、その誤差は安全率の中に吸収されてしまう。零戦や戦艦大和といった当時を代表する設計物も計算尺で計算されたと伝えられており、3桁の精度と大きめの安全率を組み合わせることが、当時のエンジニアリングの標準的な作法だったのである。厳密な正確さより、多少の誤差があっても壊れない余裕を先に確保する——この発想があったからこそ、計算尺の精度でも十分に実用に耐えたのだ。
350年、エンジニアの腕として——反復計算の時代が育てた文化
以来およそ350年間、計算尺は技術者にとって体の一部のような存在であり続けた。橋も飛行機も発電所も、そして宇宙船さえも、この細長い道具を介した計算の積み重ねの上に設計されている。この長寿を支えていたのは、単に道具として優秀だったからだけではない。当時は、設計にまつわる大量の反復計算を、結局は人間が一つひとつ手でこなすしかない時代だったという事情が大きい。コンピュータがない以上、計算尺は「他に選択肢がない」道具でもあったのだ。だからこそ理工系の大学では、入学した学生がまず一本の計算尺を手に入れることから学びが始まるのが当たり前だった。上級者向けの高機能な計算尺を持つことは、いわば工学生のステータスシンボルでもあったという。製図室では、製図道具と計算尺が並んで置かれ、線を引く手と目盛りを合わせる手が絶えず行き来していた。学校でも対数や計算尺の使い方そのものが教育課程に組み込まれ、計算尺を使いこなせることが技術者としての基礎教養だったのである。この「反復計算は人間の仕事」という前提が変わらない限り、計算尺に取って代わる道具は現れようがなかった。
発明は、事情・環境・他の道具が揃って初めて意味を持つ。計算尺もまた、対数という数学的な原理、精密な目盛りを刻む加工技術、そして携帯できるという条件が揃って、はじめてエンジニアたちの標準装備になり得た道具だった。
なぜヘンミは世界を制したか——竹という素材の勝利
日本でも「ヘンミ計算尺」が竹を素材にした精度の高い計算尺を作り、世界市場で高いシェアを占めたと伝えられている。第二次世界大戦前には日本製計算尺が世界シェアの8割に達した時期もあり、1960年代にも7割を超える市場を握っていたという。なぜ竹だったのか。計算尺は目盛りの正確さがすべてであり、素材が湿度や温度で伸び縮みしてしまえば、目盛りは一瞬でずれて使い物にならなくなる。欧米の計算尺の多くは木や象牙を使っていたが、これらは乾湿の変化に弱く、狂いが生じやすかった。ヘンミが目をつけたのは、宮崎や鹿児島などで栽培される孟宗竹(もうそうちく)という竹である。繊維がち密で乾湿による変形が少なく、目盛りを刻んでも狂いにくいという性質を持っていた。そこにヘンミは独自の機械切刻法という加工技術を組み合わせ、目盛りを寸分の狂いなく大量生産する体制を築いた。素材の物性という自然条件と、それを高精度に加工する日本の技術力という二つの条件が揃って、初めて「狂わない計算尺」という評判が生まれ、世界中の技術者から選ばれる道具になったのである。
退場は一瞬だった——半導体が価格を溶かした構造
しかしその全盛期は、驚くほどあっけなく終わりを迎える。きっかけは電卓の心臓部である半導体の価格が、坂を転げ落ちるように下がっていったことだった。1964年に登場した国産初のトランジスタ電卓は約50万円もする高級品だったが、集積回路(IC)、さらに多数の回路を1個のチップに詰め込む大規模集積回路(LSI)へと部品が進化するにつれ、電卓に必要な半導体部品の数はわずか数年で3000個近くから1個にまで減っていった。部品点数が減れば製造コストは劇的に下がる。1970年代前半には、電卓の価格は1万円程度にまで落ち込んでいた。部品さえ買えばどんな会社でも電卓を組み立てられるようになったため参入企業は50社を超え、「電卓戦争」と呼ばれる価格競争が始まった。そこに追い打ちをかけたのが1972年、米ヒューレット・パッカード社が発売した関数電卓「HP-35」である。三角関数や指数計算までこなせるこの一台は、それまで計算尺にしかできなかった仕事を電子回路に置き換えてしまった。350年かけて積み上げられてきた精度と信頼が、半導体という新しい条件の登場によって、たった数年で置き換えられたのである。ここに、シリーズを通じて繰り返してきたテーマの裏返しが見える。条件が揃って初めて意味を持つ道具は、条件が変わってしまえば、それがどれほど完成度の高い道具であっても、あっさりと舞台を去っていくということだ。しかも完成度が高ければ高いほど、代わりの道具が現れたときの退場は速い。使い手たちが迷わず乗り換えてしまうからである。大学も数年のうちに計算尺の授業を相次いで廃止し、技術者たちの腰から計算尺のケースが消えていった。
道具が育てた能力の行方
もっとも、計算尺の退場を単なる進歩の物語として片づけてよいものか、疑問を持つ声も少なくない。計算尺を使うには、答えの桁数をあらかじめ見積もる感覚が欠かせなかった。目盛りが示すのはあくまで数字の並びであり、小数点の位置は使い手が頭の中で判断する必要があったからだ。桁を見誤れば、答えは十倍にも百分の一にもなってしまう。だからこそ計算尺を使い続けた技術者は、計算する前におおよその答えの見当をつける習慣を自然と身につけていた。この「概算力」や「桁の感覚」は、電卓のボタンを押すだけでは決して身につかない。ボタンを押せば答えは正確に出てくるが、その答えが正しい桁にあるかどうかを疑う感覚は、むしろ育ちにくくなる。道具は使い手の能力を形づくる。そして道具が舞台を去るとき、その道具が育てた能力までもが、静かに一緒に姿を消していくのかもしれない。350年かけて技術者の腕の一部となった計算尺の物語は、便利さと引き換えに何を手放しているのかを、私たちに静かに問いかけている。
次回は…「消えた道具・ガリ版——学校とサークルを支えた印刷機」を取り上げる。
出典・参考文献
- 内山昭『計算機歴史物語』岩波新書, 1983
- ヘンミ計算尺株式会社 社史・沿革(Web)
- ヘンミ計算尺株式会社「計算尺の歴史」https://hemmi-inc.co.jp/history/
- 国立科学博物館 理工電子資料館「ヘンミ計算尺」https://www.kahaku.go.jp/exhibitions/vm/past_parmanent/rikou/computer/henmi.html
- 日本半導体歴史館「集積回路1970年代」https://www.shmj.or.jp/integred-circuits/era1970.html
- Wikipedia「計算尺」「HP-35」