道具・発明の歴史

【道具・発明の歴史 #23】トランジスタ——すべてのデジタルの起点

クイズをひとつ。世界初の汎用電子計算機ENIACは、ある部品の故障との戦いに明け暮れていた。その部品はおよそ1万8000本使われ、稼働初期にはほぼ毎日どこかが切れて、まともに動く時間は半分程度しかなかったと伝えられる。何の部品だったか、想像がつくだろうか。

答えは真空管である。今のスマートフォンからは想像もつかないが、1940年代のコンピュータは電球によく似たガラス管をスイッチとして大量に使っていた。この真空管の限界を打ち破った小さな部品こそ、今回の主役「トランジスタ」だ。

真空管という「壊れる巨人」——ENIACの現場から

真空管の中身は、電球とほとんど同じ発想でできている。ガラス管の中を真空にし、内部のフィラメント(陰極)を電気で加熱すると、金属の表面から電子が飛び出してくる。この現象を熱電子放出という。飛び出した電子はプレート(陽極)に向かって流れ、その通り道に置かれたグリッド(格子状の電極)にかける電圧をわずかに変えることで、流れる電子の量を細かく操作できる。電流の量をコントロールする——これはそのまま、信号を大きくする「増幅」と、電流を通す・止めるを切り替える「スイッチ」という、コンピュータや通信機器の心臓部にあたる二つの仕事になる。

問題は、この仕事のやり方そのものにあった。フィラメントを常に熱し続けるという原理は、白熱電球と同じ宿命を真空管に背負わせる。いつかは切れる、というシンプルな弱点である。単体の球なら数百時間から数千時間はもつが、ENIACのように1万8000本近くも束ねれば、確率的に見てほぼ毎日どこかが寿命を迎える計算になる。技術者たちは、電源のオンオフを繰り返すたびに熱膨張と収縮のストレスで球が切れやすくなることに気づき、「マシンを止めない」という逆転の発想で対処した。24時間つけっぱなしにすることで、故障のペースはようやく「2日に1本」程度まで落ち着いたという。開発者の一人J・プレスパー・エッカートは後年のインタビューで、当時の様子を「2日に1本は球が切れたが、15分あれば故障箇所を突き止められた」と振り返っている。1万8000本の中からたった1本の不良球を15分で探し当てる——これは技術というより、絶え間ない保守作業が磨き上げた職人芸に近かった。真空管そのものは電話交換や無線通信で使われてきた枯れた技術だったが、その枯れた技術ゆえの構造的な弱点が、コンピュータという新しい用途では致命的な足かせになっていたのである。

半導体は何が違うのか——熱さず、壊さず、小さくする

では半導体(シリコンやゲルマニウムなど、電気を通す金属と通さない絶縁体の中間の性質を持つ結晶)は、同じ仕事をどうやって果たすのか。答えは、真空も加熱もいっさい使わないという一点に尽きる。半導体の結晶内部には、電気を運ぶ自由電子と、電子が抜けた穴のようにふるまう「正孔(せいこう)」と呼ばれる担い手が存在し、外からかける電圧をわずかに変えるだけで、結晶の中を流れる電流の量を大きく変化させることができる。真空管が「電極から電子を真空の空間へ飛び出させ、その流れをグリッドで操る」のに対し、トランジスタは「結晶という固体の中をもともと流れている電子の量を、電圧で直接操る」。増幅とスイッチという仕事の中身はまったく同じだが、実現の手段がまるで違う。

だからトランジスタには、真空を保つガラス管も、電子を飛ばすための加熱も要らない。熱くならないので放熱の心配がなく、フィラメントのように消耗する部品がないので理論上は壊れにくく、部品そのものも指先に乗るほど小さくできる。真空管が「電球の親戚」だとすれば、トランジスタは「石ころの親戚」だ。この違いが、ENIACを苦しめた「熱・寿命・大きさ」という三重苦を、原理のレベルでまるごと解消した。

ベル研究所、1947年の発見——なぜここだったのか

その答えを出したのが、米ベル研究所のウィリアム・ショックレー、ジョン・バーディーン、ウォルター・ブラッテンの3人である。1947年12月、彼らはゲルマニウムの結晶に金属の針を接触させることで電気信号を増幅・制御できることを実証した。これが世界初のトランジスタであり、3人は1956年にノーベル物理学賞を受賞している。

なぜこの発見はベル研究所で起きたのか。まず資金の面から見てみよう。ベル研究所を運営するAT&Tは、当時アメリカの電話事業をほぼ独占する巨大企業だった。競争にさらされにくい独占企業は収益が安定しており、その利益の一部を、何年も製品化されない基礎研究に注ぎ込む余裕を持っていた。次に、社内の切実な需要である。1945年、研究担当役員のマーヴィン・ケリーは、電話交換機の中で延々と作動音を立てる電磁式リレー(機械仕掛けのスイッチ)と、長距離電話の信号を増幅するために回線の途中に置かれていた真空管中継器という、二つの「壊れやすい部品」を置き換える固体素子の開発を狙い、社内に固体物理学の研究グループを立ち上げた。これは学術的な好奇心からではなく、広大な電話網を維持するコストと故障率を下げたいという、ベル研究所自身の商売上の必要から出発した組織だった。

そしてケリーの組織設計そのものが、もう一つの条件になった。理論物理学者のジョン・バーディーンと、実験と装置づくりに長けたウォルター・ブラッテンを、理論家肌のウィリアム・ショックレーが率いる同じグループに置き、化学者や冶金学者、技術者まで巻き込んだ学際チームを組んだのである。理論家だけでは仮説を確かめる術がなく、実験家だけでは何を探しているのか見失う。理論と実験が同じ部屋で日常的にぶつかり合える組織があったからこそ、点接触型トランジスタの実証という成果にたどり着けた。潤沢な研究費、社内の切実なニーズ、そして理論と実験を同居させる組織設計——この三つが同時に揃ったところに、この発明は生まれている。

独占と和解——特許公開が生んだ半導体産業

発見しただけでは、産業は生まれない。AT&Tはこの技術を独り占めしなかった、というより、できなかった。当時アメリカ司法省はAT&Tを独占禁止法違反で提訴しており、1956年、AT&Tは電話事業以外への進出を禁じられる代わりに、保有する特許7800件あまりをほぼ無条件で他社に公開するという内容の同意判決を受け入れることになった。実はそれ以前の1952年の時点で、AT&Tはすでにトランジスタの特許ライセンスを他社への提供に踏み切っており、そのライセンス料はわずか2万5000ドルだったと伝えられる。のちにソニーが手にすることになるのも、この初期ライセンスである。もしAT&Tが電話事業だけに閉じこもり、この技術を自社の資産として抱え込んでいたら、世界中の企業がトランジスタを製品化する道は大きく狭められていたはずだ。独占企業だったからこそ基礎研究に大金をかけられ、その独占を規制で崩されたからこそ技術が世界中に開放された——という二重のねじれこそが、トランジスタ産業がわずか十数年で世界に広がった土台になっている。

日本の逆転劇——ソニーがラジオで世界に出られた条件

この開放されたライセンスにいち早く目をつけたのが、東京通信工業、のちのソニーである。1953年、共同創業者の井深大は盛田昭夫をアメリカに送り込み、ベル研究所の製造部門であるウェスタン・エレクトリック社からトランジスタの特許ライセンスを取得させた。だがこれは簡単な決断ではなかった。当時の日本は政府が外貨(ドル)の持ち出しを厳しく管理しており、ライセンス料の送金許可を求めた井深は、通商産業省でまともに取り合ってもらえなかったとも伝えられる。それでも交渉は続けられ、現在の価値で数百万円規模ともいわれる2万5000ドルを支払って契約に署名した。占領が終わって間もない、無名の小さな会社が大金を賭けて海外の新技術を取りに行く——この決断そのものが、第一の条件だった。

第二の条件は、当時の日本を取り巻く経済環境である。1ドル360円という固定相場制のもとにあった日本は、アメリカに比べて人件費がまだ大幅に安く、輸出向けの製造業を育てる政策的な後押しもあった。安く精密に量産する力さえ整えば、価格競争力を武器に海外市場へ打って出られる土壌が、すでにできあがっていたのである。

第三の条件は、何を作るかという製品選択だった。アメリカの家庭用ラジオ市場ではすでに大型の据え置き型ラジオが行き渡り、真空管式のオーディオ機器メーカーが強固な地位を築いていた。ソニーはこの土俵で正面から戦う代わりに、「ポケットに入る」という、当時誰も本気で狙っていなかった小型化の方向に賭けた。1955年に発売したトランジスタラジオTR-55は、真空管では到底実現できない軽さと携帯性を武器に、それまでの据え置き型ラジオとは違う需要を掘り起こした。基礎研究では敵わなくても、量産技術と製品企画、そして「どの市場を選ぶか」という戦略眼で先行するという、戦後日本の製造業のパターンは、ここから始まったと言ってよい。

集積回路、ムーアの法則、そして半導体戦争

トランジスタはその後、複数の素子を一枚の基板にまとめる集積回路(IC)へと進化する。1個のトランジスタの発明から、数十億個のトランジスタを載せたチップまでの道のりを支えたのが、集積回路上の素子数が一定期間ごとに倍増するという「ムーアの法則」だった。素子を小さくすればするほど、同じ面積のチップにより多くの計算能力を詰め込める。この延長線上に、パソコンが生まれ、インターネットが広がり、そして今、私たちの手のひらのスマートフォンがある。

そして現代、この微細化競争の最先端をどの国・どの企業が握るかは、単なる産業競争にとどまらず、経済安全保障そのものを左右する問題になっている。かつて特許が無償同然で世界に開放されたことで産業が立ち上がったのとは対照的に、いまや最先端の製造装置や設計技術は各国が輸出を厳しく管理する戦略物資になっている。半導体の製造能力と設計技術を押さえることが、国家の力そのものに直結する時代が来ているのだ。真空管を置き換える小さな部品として、電話会社の社内需要から生まれたトランジスタは、今や国家間の駆け引きの中心に座る存在になっている。

次回は#24「コンテナ——箱ひとつで世界貿易を作り替えたローテク発明」をお届けする。

出典・参考文献

  • Michael Riordan & Lillian Hoddeson, *Crystal Fire: The Birth of the Information Age*, W. W. Norton, 1997
  • クリス・ミラー『半導体戦争——世界最重要テクノロジーをめぐる国家間の攻防』ダイヤモンド社, 2023
  • Computer History Museum, "ENIAC," CHM Revolution exhibit; "1947: Invention of the Point-Contact Transistor," The Silicon Engine
  • Watzinger, Fackler, Nagler & Schnitzer, "How Antitrust Enforcement Can Spur Innovation: Bell Labs and the 1956 Consent Decree," *American Economic Journal: Economic Policy*, 2020
  • EBSCO Research Starters, "Morita Licenses Transistor Technology"
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