クイズをひとつ。世界初の人工プラスチックは、何を作るために生まれたものだろうか。ペットボトルでも、おもちゃでもない。答えはビリヤードの球である。19世紀後半、ある一つの素材不足が、今日まで続く素材革命の引き金を引いた。
高分子とは何か——小さな分子が鎖につながる
プラスチックの正体を一言で言うと「高分子(こうぶんし)」である。高分子とは、炭素を中心とした小さな分子(モノマー)が、数百から数万個も鎖のように連なってできた巨大な分子のことだ。この「小さな分子をつなげて長い鎖にする」反応を重合(じゅうごう)と呼ぶ。鎖が長くなればなるほど分子どうしが絡み合い、丈夫で、熱を加えると自由に形を変えられる素材になる。天然にも高分子は存在する——木材を形づくるセルロースや、生き物の体をつくるタンパク質も高分子の一種だ。プラスチックの歴史とは、この「天然の高分子を加工する時代」から「人間が一から高分子を設計する時代」への移行の歴史でもある。この視点を持って以下を読むと、セルロイドとベークライトの違いがくっきり見えてくる。
象牙が足りない、から生まれた代用品
19世紀半ばのビリヤードは、上流階級を中心に大流行していた。球の材料は象牙が定番だったが、象牙一本の牙から取れる高品質な球はわずか4〜5個ほどしかなかったといわれる。ある業者は年間で「象1,140頭分」の球を売っていたと誇っていたというから、需要と供給の差は開く一方だった。乱獲によって象牙は急速に希少化し、1850年代には球3個ひと組の価格が現在の価値で十数万円相当にまで跳ね上がったと伝えられる。このままでは球の供給が立ち行かなくなる。そう危機感を抱いたアメリカのメーカーは、代替素材の開発に懸賞金をかけた。
この懸賞に応じたのが印刷業者ジョン・ウェスリー・ハイアットである。彼は綿花由来のニトロセルロース(硝酸で処理した繊維で、火薬の原料にもなる燃えやすい化合物)に樟脳を混ぜ合わせ、熱と圧力を加えることで成形できる素材を作り出した。1869年に発表されたこの「セルロイド」こそ、最初期の人工プラスチックだった。だがこの成り立ちには弱点も刻み込まれていた。原料のニトロセルロースは可燃性が高く、セルロイド製の球は衝突の衝撃で火花や小さな爆発を起こすことがあったと記録されている。のちに映画フィルムの基材としても使われたセルロイド(ニトロセルロースフィルム)は、保管中に自然発火する事故を各地で起こし、映写室の火災で多くの死者を出す悲劇も伝えられている。セルロイドは、加熱すればまた軟らかくなる「熱可塑性(ねつかそせい)」の素材であり、この性質のおかげで自由に成形できた半面、燃えやすさという代償を抱えたまま普及したのである。もっともセルロイドは、天然素材そのものを置き換える発明ではなく、あくまで自然素材の代用品として世に出た点に注意したい。象牙の代わり、鼈甲の代わりという発想がまず先にあり、まったく新しい機能を狙ったものではなかった。実際にセルロイドはビリヤードの球だけでなく、櫛や眼鏡フレームにまで用途を広げ、「本物そっくりの安価な代用品」という新しい市場そのものを切り開いていった。
なぜ象牙は世界中で払底したのか——大衆消費と植民地貿易
ではなぜ、19世紀にこれほど急激に象牙が足りなくなったのか。理由は、象牙を使う製品が「大衆消費財」に変わったことにある。ビリヤードの球だけではない。実はピアノの鍵盤こそ、当時の象牙消費量のうち他のすべての用途を合わせたよりも多くを占めていたといわれる。中流家庭にもピアノが広まり、櫛や扇子、装飾品にまで象牙が使われるようになったことで、消費量は貴族の贅沢品だった時代とは桁違いに膨れ上がった。
その供給を支えたのが、ヨーロッパ列強によるアフリカの植民地化だった。貿易のピーク時には、年間800〜1,000トンもの象牙がアフリカからヨーロッパへ運び出されたと推定されている。象牙は現地で仕留められたのち、港まで人の手で運ばれる必要があり、その輸送には過酷な強制労働がしばしば伴っていたと指摘される。つまり象牙不足は、単なる「象の数が減った」という自然現象ではなく、大衆消費の拡大と植民地支配下の資源収奪が組み合わさって生まれた、政治・経済的な構造の産物だったのである。セルロイドの発明は、この構造そのものを変えたわけではないが、少なくとも「象牙でなければならない」という縛りを緩め、素材を選ぶ余地を人類にもたらした最初の一歩だった。
完全人工素材の誕生——ベークライトと「電気の時代」
セルロイドから約40年後、化学者レオ・ベークランドが発表したベークライト(1907年)は、これとは根本的に性格が異なっていた。植物や動物に由来する成分を一切使わず、フェノールとホルムアルデヒドという石炭由来の化学物質だけから作られる、自然界に存在しない完全な人工素材だったのである。そしてもう一つ、セルロイドとの決定的な違いがあった。ベークライトは一度熱と圧力で固めると、二度と加熱しても軟らかくならない「熱硬化性(ねつこうかせい)」の素材だったのだ。分子の鎖どうしが硬く結びつき、網の目のような構造をがっちり組み上げてしまうため、後戻りができない。この「戻らない硬さ」こそが、次に見る用途にとって決定的な強みになった。
ベークライトが真価を発揮したのは、電気絶縁材としての用途だった。折しも時代はラジオ放送や電話の普及期であり、自動車もまた点火装置などの電装部品を増やしながら大衆化しつつあった。熱に強く、電気を通さず、複雑な形に成形できる素材が、これらの新しい電気製品には必須だったのである。
なぜベークライトはこれほど求められたのか——電気産業の勃興
ここで発明は、事情・環境・他の道具が揃って初めて意味を持つというこのシリーズのテーマが、鮮やかに表れる。優れた絶縁素材がどれほど早く発見されても、それを必要とする電気産業や自動車産業が存在しなければ、宝の持ち腐れに終わっていたはずである。1920年代、ラジオ放送が始まると受信機が飛ぶように売れ、そのキャビネットや内部部品には、燃えにくく電気を通さないベークライトが欠かせなかった。電話網の拡大にともなって電話機本体の成形材料としても採用され、自動車では点火系統の絶縁部品として使われた。つまりベークライトは、電気を家庭やまちに届けるインフラそのものと二人三脚で育った素材だったのである。セルロイドが「見た目の代用品」だったのに対し、ベークライトは「機能そのものが求められて生まれた素材」だった。この違いこそが、プラスチックという存在を単なる模造品から、産業を支える基幹素材へと押し上げた転換点だったといえる。
戦争が急いだ高分子化学——ナイロンとWWII
1930年代、アメリカの化学会社デュポンは、高分子化学の研究からナイロンを生み出し、1935年に特許を取得した。1939年に発売されたナイロン製ストッキングは絹の代替品として売り出され、発売初日だけで数百万足が売れるほどの爆発的な人気を呼んだ。だが、その真価が試されたのは第二次世界大戦だった。当時、ストッキングや落下傘の生地として使われていた絹は、日本からの輸入に大きく頼っていたが、日本との対立が深まるにつれてこの供給網は使えなくなっていった。そこでデュポンは、絹に代わる素材としてナイロンを軍に売り込み、パラシュートやロープ、タイヤの補強材として採用させることに成功する。その結果、軍需物資としてナイロンへの需要が急増し、店頭からストッキングが姿を消すほどだったといわれる。高分子化学の研究開発は国家的な規模で一気に加速し、戦争という巨大な圧力のもとで、実験室の化学は短期間で工業技術へと押し上げられていった。終戦直後の1945年には、待ちわびた市民がストッキング欲しさに数万人規模で店に殺到する「ナイロン騒動」まで起きたと伝えられ、それほどまでにこの新素材への渇望は大きかったのである。
「安さ」が生んだ使い捨て文化、そして宿題
戦後、軍需で培われた大量生産の技術と設備は、そのまま民生品づくりに転用された。石油という安価な原料から、規格化された工場ラインでプラスチックを大量に成形する仕組みが整うと、製品one個あたりのコストは劇的に下がった。容器も包装も日用品も、軽くて丈夫で安いプラスチック製品に置き換わり、人々は「使ったら捨てる」という新しい生活様式を当たり前のものとして受け入れていった。それまで「モノは修理して長く使うもの」だった社会が、「安いから買い替える」社会へと、わずか一世代のうちに姿を変えたのである。
だが、その安さと便利さは、同時に大きな宿題を先送りにする行為でもあった。プラスチックの多くは自然の中でほとんど分解されず、細かく砕けてマイクロプラスチックとなって海や生物の体内に蓄積していく。リサイクルの仕組みも、素材の種類が多すぎることや、選別・再加工のコストの高さから、世界的に停滞したままだ。象牙の代用品として生まれた素材が、百五十年余りを経て地球規模の環境問題に姿を変えたことを思うと、素材の発明は本来、その素材を「どう捨てるか」の発明とセットであるべきだったのではないか。プラスチックの歴史は、便利さの裏側に何を置き去りにしてきたのかを、今なお私たちに問いかけている。
次回は #23 トランジスタ——すべてのデジタルの起点、お届けします。
出典・参考文献
- Susan Freinkel, *Plastic: A Toxic Love Story*, Houghton Mifflin Harcourt, 2011
- Jeffrey L. Meikle, *American Plastic: A Cultural History*, Rutgers University Press, 1995
- National Museum of American History (Smithsonian), "Ivory Billiard Balls"
- NPR, "Elephant Slaughter, African Slavery And America's Pianos" (2014)
- Smithsonian Magazine, "Once Upon a Time, Exploding Billiard Balls Were An Everyday Thing"
- McGill University Office for Science and Society, "How Celluloid Produced Great Billiard Balls of Fire"
- Science History Institute, "Burn After Watching"
- Smithsonian Magazine, "Stocking Series, Part 1: Wartime Rationing and Nylon Riots"
- Wikipedia, "Nylon riots"