道具・発明の歴史

【道具・発明の歴史 #24】コンテナ——箱ひとつで世界貿易を作り替えたローテク発明

クイズをひとつ。20世紀後半を代表する発明として真っ先に名前が挙がるのは、コンピュータだろうか、それとも原子力だろうか。歴史家マルク・レビンソンが著書『コンテナ物語』で挙げた答えは、そのどちらでもない。ただの鉄の箱、コンテナである。技術的には驚くほど単純なこの箱が、なぜ世界の貿易のかたちを根本から変えてしまったのか。答えを追っていくと、港の労働の現場から、規格をめぐる企業間の主導権争い、遠く離れたベトナム戦争の兵站まで、意外な場所に理由が転がっている。

沖仲仕が箱を担いだ「バラ積み」の港

コンテナが登場する前の港を想像してほしい。貨物船に積まれるのは、袋詰めの穀物、樽入りの油、木箱に入った雑貨など、形も大きさもばらばらの荷物だった。これを「バラ積み貨物」と呼ぶ。積み込みを担ったのは沖仲仕(おきなかし)——港で貨物を人力で運び、船倉に積み上げる労働者たちである。彼らの仕事は単純な力仕事ではなく、不揃いな袋や樽を隙間なく船倉に詰めていく、いわば巨大な立体パズルだった。

この作業がとにかく時間とコストを食った。1950年代に行われた調査では、大西洋を渡るある航海で、荷役にかかった時間が航海全体の所要日数の半分を占め、別の調査では貨物輸送コストの60〜75%が荷役の人件費で消えていたという結果が出ている。つまり、船を動かす燃料代や乗組員の給料よりも、港で荷物を積み下ろす人手の方が高くついていたのだ。荷役に数日、時には10日近くかかることも珍しくなく、その間、船は何も運ばずただ港に停泊し続ける。船会社にとって、停泊中の船は利益を生まない「浮かぶ借金」そのものだった。

さらに厄介だったのが盗難と破損である。人の手で何度も積み替えられる荷物は、その都度、中身をこじ開けられたり抜き取られたりする隙にさらされた。港湾労働者のあいだでは、酒や煙草の荷が「輸送中に少し目減りする」のは半ば公然の慣習だったと伝えられ、荷主は保険料の高さでその代償を払っていた。輸送費の内訳を分解すると、船を走らせる費用よりも、港での人手と時間、そして盗難・破損のリスクが大半を占めていた——これがコンテナ以前の港の実態である。

マクリーンの閃きと「動く倉庫」の誕生

1956年4月、アメリカのトラック運送業者マルコム・マクリーンが改造したタンカー「アイデアルX号」が、ニューアーク港からヒューストンへ向けて出港した。積まれていたのは規格化された箱、コンテナだけだった。マクリーンの発想は単純だった。荷物を積み替えるのではなく、荷物の入った箱ごとトラックから船へ、船からトラックへ移し替えればいい。船を「海の上を走る道路の延長」として捉え直したこの転換が、すべての出発点になった。

だが、箱ひとつを作っただけでは何も変わらない。港のクレーンが箱を吊り上げられなければならず、トラックの荷台(シャーシ)が箱の寸法に合っていなければならず、船倉も箱を積み重ねられる構造でなければならない。これらすべてが同じ規格でつながって初めて、コンテナは積み替えのたびに中身を開ける必要のない「動く倉庫」になった。このシリーズで繰り返し伝えている通り、発明は、事情・環境・他の道具が揃って初めて意味を持つ。コンテナほどこの原則を体現した発明はない。

規格をめぐる主導権争い——ISOという名の政治

その「揃える」作業は、決して穏やかには進まなかった。マクリーンのシーランド社は35フィートのコンテナを使い、競合のマトソン社は24フィートを使っていた。1961年、業界の規格を決める米国の委員会は10・20・30・40フィートという長さを標準に定めたが、これは皮肉にも先駆者であるシーランドとマトソンのどちらの規格でもなかった。両社とも自社の設備を作り変える羽目になった。

さらに厄介だったのが、箱の四隅に付ける金具「コーナー金具」の規格だった。これはコンテナをクレーンで吊り上げ、船上で積み重ねて固定するための要である。マクリーンはこの金具の特許を自社で押さえていたが、これでは他社が自由に使えず、業界全体で規格を共有できない。技術論争が何年も続いた末、1965年、ISO(国際標準化機構)はシーランド方式を土台にした金具を世界標準として採用し、マクリーンも特許を無償で開放することに同意した。1968年には寸法や強度の基準を定めたISO668が正式に発効し、ようやく世界中のクレーンがどの船会社のコンテナでも扱えるようになった。船会社・鉄道会社・港湾当局を巻き込んだこの主導権争いこそが、技術そのものより長く、より重要な「発明の続き」だったのである。

ベトナム戦争が普及を決定づけた

規格が固まっても、コンテナが世界の主役になるにはもうひとつ、決定的な後押しが要った。それがベトナム戦争である。1960年代半ば、米軍はベトナムへの大量の物資輸送に苦しんでいた。従来型のバラ積み船では荷降ろしが追いつかず、船が沖合で係留されたまま順番待ちする日数は平均30日にも達したという。

転機は1966年、シーランド社のコンテナ船「フェアランド号」が、船に搭載した専用クレーンごとカムラン湾に乗り込み、通常なら何日もかかる荷降ろしをわずか1日で終わらせたことだった。この成功は「分水嶺」と呼ばれるほどの出来事となり、米軍はマクリーンに太平洋岸のインフラ整備までまるごと委ねる契約を結んだ。それまで太平洋を渡るコンテナ航路は存在しなかったため、マクリーンはオークランド港をはじめとする拠点をゼロから築き上げねばならなかった。戦争が終わったあと、この軍需で築かれた航路と港湾設備がそのまま太平洋をまたぐ商業貿易の土台に転用され、後述する東アジアの輸出産業を支える大動脈になっていく。

港湾労働組合との闘いと補償制度

もっとも、この転換は現場の労働者にとって歓迎すべきものではなかった。荷役の自動化は、それまで人力の積み込みで生計を立ててきた沖仲仕たちの仕事を根こそぎ奪う話でもあり、アメリカでもイギリスでも港湾労働組合は激しくコンテナ化に抵抗した。

アメリカ西海岸では、1960年に港湾労働組合(ILWU)と港運会社側の団体(太平洋海事協会)のあいだで「機械化・近代化協定」が結ばれた。組合が自動化への抵抗をやめる代わりに、会社側は1961年から66年にかけて2900万ドルの基金を積み立て、技術革新で職を失う労働者への補償やベテランの早期退職金にあてることを約束した。実際には当時の港湾業務が好況だったため、基金は使い切られずに1300万ドルが残り、1966年には常勤労働者約1万人に一人あたり1200ドルのボーナスとして支払われている。東海岸でも同様に組合と港運会社の交渉には何年もかかったと伝えられる。

同時に、港そのものの運命も分かれた。コンテナ船は従来の船よりはるかに大きく、広いヤードと大型クレーン、深い水深を必要とする。ニューヨークの旧来の狭い波止場ではこの新しい設備を置く余地がなく、代わって対岸のニュージャージー側に新しく整備された港が貿易の主役に躍り出た。技術だけでなく、労働のあり方や都市の地理までもが、コンテナという一つの箱によって書き換えられたのだった。

輸送費ゼロ化が変えた「工場をどこに置くか」の論理

規格化と大量普及が進んだ結果、荷役コストは劇的に下がった。港での積み下ろしと停泊時間が激減し、輸送コストは貿易の意思決定においてほとんど無視できる水準にまで近づいていく。この変化がもたらした帰結は大きい。それまで企業が工場を消費地の近くに置いていたのは、輸送コストと時間が製品価格を左右したからだった。ところが輸送がほぼ無視できるコストになると、その必然性は消える。人件費の安い場所で作り、コンテナ船で世界中に運べばよい。

この論理の転換を最大限に利用したのが、1960年代から70年代にかけての東アジアだった。韓国・台湾・香港・シンガポールは、安い労働力を武器に繊維や電子部品を輸出する「輸出主導型工業化」の道を選び、釜山・高雄・香港・シンガポールといった港は次々とコンテナ化を進めて輸出の玄関口になった。資源に乏しい日本もまた、この土台の上に自動車や電子機器を輸出する「貿易立国」の姿を築き上げていった。輸送費がほぼゼロに近づいたからこそ、部品はある国で作り、別の国で組み立て、また別の国で最終製品にする——という国境をまたいだ分業、今日「グローバルサプライチェーン」と呼ばれる生産体制が現実のものになったのである。

コンピュータでも核兵器でもなく、ただの箱が世界を作り替えた。港の沖仲仕の汗も、規格をめぐる企業の攻防も、遠いベトナムの戦場も、すべてがこの箱ひとつに集約されている。派手さのないローテクな発明ほど、条件さえ揃えば歴史を動かすという事実を、コンテナの物語は教えてくれる。

次回は#25 NC工作機械とロボット——マザーマシンがデジタルと出会うをお届けする。

出典・参考文献

  • マルク・レビンソン『コンテナ物語——世界を変えたのは「箱」の発明だった 増補改訂版』日経BP, 2019
  • ISO, "Boxing clever – How standardization built a global economy," iso.org
  • 米陸軍公式戦史 "Contingencies, Container Ships, and Lighterage," army.mil
  • サンフランシスコ港湾局「ILWU History」(ILWU-PMA機械化・近代化協定に関する資料), sfport.com
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