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道具・発明の歴史

【道具・発明の歴史 #46】エアコン——人を涼ませるためではなく、紙のために生まれた

世界で最初に近代的な空調装置が据えられた建物は、暑さに苦しむ住宅でも病院でもない。ニューヨーク・ブルックリンの印刷工場である。しかも当初の目的は、涼しくすることですらなかった。依頼内容は「夏になると色がずれる」という、印刷屋の苦情だった。

紙が伸び縮みする、という苦情

多色刷りの印刷は、色の数だけ版を重ねて刷る。ところが紙は湿気を吸うと伸び、乾くと縮む。刷るたびに紙の寸法が変わってしまえば、次の版はもう合わない。輪郭から色がはみ出す。夏場の湿気の多い日は、まともに商品にならなかった。

一九〇二年、この相談を受けたのが、送風機メーカーに勤めていた若い技師ウィリス・キャリアである。彼が組んだ装置は、冷たい管の列に空気を通し、表面で水分を結露させて落とし、湿度を狙った値に持っていくというものだった。空気が冷えるのは、湿度を下げるための手段にすぎない。目的は温度ではなく、水分量の管理だった。

「空気調和(エア・コンディショニング)」という言葉自体も、人の快適さから出た言葉ではない。紡績技師のスチュアート・クレイマーが一九〇六年ごろ、糸を扱いやすい状態に保つ工程を指して使い始めたものを、キャリアが採用したと伝えられている。この機械は、はじめから人ではなく材料のための道具だった。

そしてキャリアの本当の功績は、装置そのものより、一九一一年に発表した湿り空気の計算体系にある。どの温度でどれだけの水分を含めるか、どこまで冷やせば目標の湿度になるかを、数値で設計できるようにした。第6回のネジで見たとおり、勘の領域を計算の領域へ移した瞬間に、その技術は誰でも作れる商品になる。

人が涼むのは、ずっとあとの話

最初の顧客は、紡績、印刷、たばこ、製薬、フィルムといった、湿度で品質が変わる産業ばかりだった。たばこの葉は乾きすぎれば砕け、湿りすぎれば黴びる。ゼラチンを塗った写真フィルムも、糖菓の表面も、湿度で品質が決まる。空調はまず、材料が言うことを聞かない工程に売られた。逆にいえば、人が涼むためだけに大きな機械と電気代を払う発想は、当時どこにもなかった。人間向けの冷房が広まるのは一九二〇年代、映画館からである。それまで映画館は、夏になると客の来ない商売だった。冷房を入れると、夏こそ人が集まる場所に変わる。夏に大作を封切るという興行の習慣は、この装置の副産物として生まれている。

興行主にとって冷房は、上映する作品と同じくらいの宣伝材料だった。入口に「涼しい」と大書して客を呼ぶ。快適さそのものが商品になった最初の例のひとつである。ここで初めて、空調は工場の設備から、一般の人が体験する装置に変わった。

家庭に入るには、さらに条件が要った。初期の冷凍機はアンモニアや二酸化硫黄といった、毒性や可燃性のある冷媒を使う。工場ならともかく、寝室の隣には置けない。一九三〇年前後にフロン系の冷媒が実用化され、燃えず毒性も低い冷媒が手に入って、ようやく住宅用の道が開けた。あとは戦後の安い電気と、小型のモーターと圧縮機、そして窓に据えるだけの箱という形式が揃う。

発明は、事情・環境・他の道具が揃って初めて意味を持つ。エアコンが家庭に来るまでに必要だったのは、冷やす原理ではない。安全な冷媒、安価な電力、量産できる圧縮機、そして冷房に金を払う暮らしのほうだった。

そしてその条件は、そのまま次の世代の宿題になった。家庭への普及を可能にしたフロン系冷媒は、のちにオゾン層を壊すことが分かり、一九八七年のモントリオール議定書で全廃へ向かう。代替として使われた冷媒は今度は強い温室効果を持つと分かり、また置き換えが進んでいる。第22回のプラスチックと同じで、普及を支えた性質そのものが、あとから問題として戻ってくる。

工場と、サーバー室

日本では高度成長期に、カラーテレビ・自動車と並ぶ「新三種の神器」の一つとして冷房が数えられた。だが、ものづくりの現場から見ると、この道具はいまも最初の用途に軸足を残している。

金属は温度で伸び縮みする。ミクロン単位の加工や測定をする部屋は、温度を一定に保つ恒温室でなければ数字が信用できない。半導体(第23回)のクリーンルームでは、温度・湿度・清浄度の管理そのものが製造装置の一部である。データセンターは消費電力の相当な割合を冷却に費やしている。人の快適さは、材料と機械のための空気調和から広がった副産物のほうだ。

暑い部屋で人が我慢するのは、昔からあることだった。だが、紙が伸びて色がずれるのは、金の問題である。エアコンが生まれた理由は、そちらだった。

次回は「#47 セメントとコンクリート——ローマで完成し、千年忘れられた材料」を予定している。 第43回のエレベーター、今回の空調と来て、高層ビルを成り立たせる三つ目の条件にたどり着く。

出典・参考文献

Salvatore Basile『Cool: How Air Conditioning Changed Everything』Fordham University Press, 2014

Marsha E. Ackermann『Cool Comfort: America's Romance with Air-Conditioning』Smithsonian Institution Press, 2002

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