リチウムという金属が電池に向いていることは、専門家のあいだではかなり早くから分かっていた。金属のなかでもっとも軽く、もっとも電子を手放したがる元素である。教科書どおりに計算すれば、当時の鉛蓄電池よりはるかに小さく軽い電池ができるはずだった。にもかかわらず、充電できるリチウム電池が商品として店頭に並んだのは一九九一年である。理由は、誰も知らなかったからではない。作ってみると、燃えたからである。
軽すぎる金属という難題
ボルタの電堆が一八〇〇年(第20回)。以後、一八五九年のプランテによる鉛蓄電池、十九世紀末のニッケル・カドミウム電池と、繰り返し充電できる電池は着実に増えていった。だがどれも重い。電池の重さの大半は電極の金属であり、そこを軽い元素に置き換えられれば話は早い。リチウムはその最右翼だった。
問題は、その活発さがそのまま牙になることである。金属リチウムは水とも空気とも激しく反応する。それ以上に厄介だったのが、充電のたびに起きる現象だった。放電で溶け出したリチウムが、充電で電極に戻るとき、平らな板には戻らない。針のような結晶が枝分かれしながら伸びていく。これが電池の中の仕切りを突き破り、反対側の電極に触れると内部で短絡する。中身は可燃物である。結果は発火だ。
使い切りの一次電池としてのリチウム電池は、一九七〇年代にはすでに実用化されていた。行き詰まっていたのは、あくまで「充電できるリチウム電池」だった。
この違いは大きい。一度きりなら、リチウムは溶けて出ていくだけで済む。ところが充電式は、溶かしては戻し、溶かしては戻す作業を数百回も繰り返す。電池の寿命とは、この往復に電極がどれだけ耐えるかという話にほかならない。当時いくつかの企業が充電式リチウム電池を試作したが、事故と回収が続き、市場から退いていった。
三つの仕事が、二十年かけて一つになる
一九七〇年代、石油危機を受けて石油会社エクソンが電池研究に資金を出す。そこでスタンリー・ウィッティンガムが、二硫化チタンという層状の結晶を正極に使った。層と層の隙間に、リチウムイオンが出たり入ったりする。電極を、金属を溶かし出す板ではなく、イオンを一時的に預かる棚として使う発想である。ただし負極は金属リチウムのままだったから、発火の問題は残った。
一九八〇年、ジョン・グッドイナフがコバルト酸リチウムを正極材料として示す。電圧が大きく上がり、しかもリチウムをあらかじめ正極側に蓄えた状態で組み立てられる。
そして一九八五年、旭化成の吉野彰が負極に炭素材料を使う構成にたどり着いた。これで電池のなかから金属リチウムが消えた。正極も負極もイオンを預かる棚になり、充放電のあいだリチウムはイオンのまま両者を往復するだけになる。金属に戻らないなら、針状の結晶も伸びない。三人は二〇一九年にノーベル化学賞を共同受賞している。
発明されたのは、新しい物質ではない。リチウムを金属に戻さずに使い続ける仕組みのほうである。前回のダイナマイトが、爆発力ではなく扱える形式の発明だったのとまったく同じ構図だ。
高い電池を、誰が買うのか
ソニーが商品化したのは一九九一年。当時、同じ電力量あたりの値段で見ればニッケル・カドミウム電池より高い。それでも売れたのは、値段より重さと大きさを優先する商品が、ちょうどそこにあったからである。ビデオカメラ、ノート型パソコン、そして携帯電話。半導体(第23回)が消費電力を下げ、機器が手のひらに近づき、「あと少し軽ければ持ち歩ける」という一群が生まれていた。
最初の量産品が積まれた先も象徴的だった。ビデオカメラは、肩に担ぐ大きさから手に持てる大きさへ移る途中にあり、電池の体積がそのまま製品の形を決めていた。電池が小さくなったぶんだけ、機器の設計者は他の部品に場所を回せる。一台ごとの改良が次の需要を呼び、量が出れば単価が下がる。値段の問題は、売れることによって後から解決した。
仮に同じ電池が一九七〇年代に完成していたとしても、買う相手がいない。発明は、事情・環境・他の道具が揃って初めて意味を持つ。この電池に必要だった条件は、材料の三段跳びだけではなく、軽さに金を払う市場のほうだった。
さらに、セルだけでは製品にならない。過充電・過放電・温度を常時見張る保護回路——つまり電池ごとに小さなコンピュータ——が要る。極薄のセパレータ、電解液、そして電極を寸分ずれずに巻き取る製造技術も要る。第39回の電話で主役が交換機だったように、主役に見える部品の外側に、本体がある。
いま、この電池は電気自動車と定置用蓄電池という桁違いの用途に進んだ。同時に、コバルトの調達と鉱山労働、回収と再資源化、輸送中の発火という新しい問題も持ち込んでいる。持ち運べる電気は、持ち運べるがゆえに、行った先すべてで新しい条件を作り出す。
次回は「#46 エアコン——人を涼ませるためではなく、紙のために生まれた」を予定している。 世界で最初のエアコンが据えられた建物は、住宅でも病院でもなく、印刷工場だった。
出典・参考文献
Seth Fletcher『Bottled Lightning: Superbatteries, Electric Cars, and the New Lithium Economy』Hill and Wang, 2011
Steve LeVine『The Powerhouse: Inside the Invention of a Battery to Save the World』Houghton Mifflin Harcourt, 2015