クイズをひとつ。今では一円玉にも、台所のホイルにも、飲み物の缶にも使われ、私たちが平気で使い捨てる金属がある。ところが十九世紀の半ば、この同じ金属は金よりも高価で、皇帝が最も大切な客だけにこの金属の食器を出し、格下の客には金の食器を出したという逸話まで残っている。アメリカのワシントン記念塔の先端に、この金属がわざわざ「貴金属」として据えられたのも、その頃のことである。いったい何が、宝石なみの値打ちを持つ金属を、身のまわりに溢れる素材へと変えたのか。
ありふれているのに、手に入らない
奇妙なことに、アルミニウムは決して珍しい元素ではない。地殻に最も多く含まれる金属で、地面の土や岩のなかにいくらでも入っている。それなのに高価だったのは、この金属が自然界では決して単体の金属として現れず、つねに他の元素と固く結びついた鉱石の姿でしか存在しないからである。
鉄なら鉱石を炉で焼き、木炭で還元すれば取り出せる。ところがアルミニウムは、その結びつきがあまりに強く、同じ手が通じない。原料はどこにでもあるのに、金属として取り出す方法がない。ありふれているのに手に入らない——この矛盾こそが、値段を天井まで押し上げていた。
十九世紀の前半にも、薬品を使って少量を取り出す方法は見つかっていた。だが手間と費用がかかりすぎて、ごくわずかしか作れない。だからこそ、この銀白色の軽い金属は珍品として扱われ、王侯貴族の装飾品や記念品にだけ使われた。地面のどこにでも眠っているはずの金属が、宝石なみの値打ちを持つ——鉄や銅とはまるで逆の、奇妙な立場に置かれていたのである。
二人の若者が、同じ年に同じ答えを出す
壁を破ったのは、電気の力だった。一八八六年、アメリカのチャールズ・マーチン・ホールと、フランスのポール・エルーという二人の若者が、互いにまったく面識がないまま、同じ年に、ほぼ同じ方法を発見する。溶かした鉱石に電気を流し、その電気の働きで金属を引き剥がすという方法である。
二人はともに一八六三年生まれ、発見も一八八六年と重なる、歴史上まれな偶然だった。だがこれは、単なる偶然の一致ではない。必要な知識と道具が世に出そろったとき、答えは一人の天才を待たず、複数の場所で同時に姿を現す。発明とはしばしば、そういう機が熟した果実の落ち方をするのである。
電気が、金属の値段を決めた
ここで思い出してほしいのが、以前このシリーズで取り上げた電池と発電機の物語である。電気を流して金属を取り出すこの方法は、大量の電気を安く使えなければ、まるで割に合わない。裏を返せば、発電機が実用化され、電気が安く豊富に手に入る時代が来て初めて、アルミニウムの製法は現実の産業になり得た。
発明は、事情・環境・他の道具が揃って初めて意味を持つ。取り出す方法そのものは発見されても、それを支える安い電気という条件がなければ、価格は下がらなかった。実際、アルミニウム工場は、豊富な電力を求めて大きな滝や水力発電所のそばに築かれていく。金属の値段を決めたのは、金属そのものではなく、その周りにそろった電気という環境だったのである。こうして、かつて金より高価だったこの金属の価格は、わずか一世代のうちに劇的に崩れ落ちた。宝石なみの珍品は、やがて硬貨や食器、包装材として、ごく当たり前に使い捨てられる素材へと姿を変えていく。数十年前には想像もできなかった転落ぶりだった。
軽さが、世界を持ち上げた
安くなったアルミニウムは、その最大の長所を発揮しはじめる。軽くて、しかも他の金属と混ぜて合金にすれば十分に丈夫だという性質である。かつてこのシリーズで青銅を取り上げたとき、純粋な金属より、混ぜ合わせた合金のほうが役に立つという話をした。アルミニウムもまさにそれで、少量の別の金属を加えた合金として使うことで、軽さと強さを両立させた。この「軽い金属」がなければ、前回の飛行機がやがて木と布から金属の機体へと進化することも、ロケットも、新幹線の車体も成り立たなかった。かつては貴族の食器だった金属が、いまや空を飛び、大地を走り、日々の暮らしを静かに支えている。
道具や素材の値打ちは、その物自体だけでは決まらない。周りにどんな技術がそろっているかで、宝にも、使い捨てにもなる。アルミニウムほど、それをはっきりと教えてくれる素材はない。
次回は「#39 電話——声を、線に乗せて運ぶ」を予定している。 かつて情報を運んだ電信の次に、人はどうやって「声そのもの」を遠くへ届けたのか。その挑戦を追う。
出典・参考文献
Mimi Sheller『Aluminum Dreams: The Making of Light Modernity』MIT Press, 2014
Vaclav Smil『Making the Modern World: Materials and Dematerialization』Wiley, 2014