十九世紀の半ばまで、鋼は刃物とばねと時計ぜんまいの材料だった。橋や建物や線路には使われない。強いことは誰もが知っていたのに使えなかった。理由は単純で、高すぎたからである。
鉄には大きく三つの顔がある。高炉から出たままの銑鉄は炭素が多く、硬いが脆く、引っ張ると割れる。そこから炭素を抜いた錬鉄は粘り強いが柔らかく、職人が半溶けの塊を長い棒でかき回す重労働(パドル法)で少しずつしか作れない。その中間、炭素をちょうどよく残したものが鋼である。いちばん都合がよく、いちばん作りにくい。十八世紀にハンツマンが確立したるつぼ鋼は品質こそ高いが、るつぼ一つぶんずつしか作れなかった。鋼は、量り売りされる貴重品だった。
冷たい風を吹き込むと、なぜ熱くなるのか
一八五六年、ヘンリー・ベッセマーが英国の学会で発表した論文の題は、「燃料を使わずに錬鉄と鋼を製造する方法」というものだった。溶けた銑鉄に、下から冷たい空気をただ吹き込む。それだけである。
普通に考えれば、冷たい風を当てれば冷える。ところが逆に、炉の中は白熱する。銑鉄に含まれる炭素とケイ素が空気中の酸素と結びついて燃え、その燃焼熱で溶けた鉄自身が温度を上げるからだ。取り除きたい不純物そのものが、取り除くための燃料になる。外から石炭をくべる必要がない。
効果は劇的だった。パドル法で何日もかけていた工程が、二十分ほどで終わる。しかも一度に数トン単位で処理できる。原理からすれば、鋼の値段は桁で下がるはずだった。
買った人が、誰も再現できなかった
ところが特許を買った製鉄業者たちは、まともな鋼を作れなかった。出てくるのは、叩くと割れる使いものにならない金属ばかりだった。ベッセマーは詐欺師呼ばわりされる。
原因は製法ではなく、材料にあった。ベッセマーが実験に使っていたのはスウェーデン産の銑鉄で、たまたまリンをほとんど含んでいなかった。イギリスの多くの鉄鉱石にはリンが含まれる。当時の転炉の内張りはケイ酸質、つまり酸性で、この条件ではリンは鉄の中に残ってしまう。リンが残った鋼は冷間で脆くなる。同じ装置、同じ手順で、原料の産地が違うだけで結果が裏返った。
解決には二段構えの補正が要った。一つはロバート・マシェットの提案で、いったん炭素を吹き飛ばしきってから、マンガンを多く含む鏡鉄(シュピーゲルアイゼン)を加える。余分な酸素を取り除き、狙った量の炭素を戻す。引き算のあとに足し算をすることで、成分をはじめて設計できるようになった。
もう一つは一八七〇年代末、シドニー・ギルクリスト・トマスらによる内張りの変更である。石灰質・ドロマイト質の塩基性内張りにすれば、リンはスラグ側に移る。これでリンを含む鉱石を抱えた大陸ヨーロッパの製鉄地帯が一気に使えるようになった。副産物として出たリン酸を多く含むスラグは、肥料として売られた。
なお、最終的に二十世紀前半の主役になったのはベッセマー転炉ではなく、ジーメンス・マルタンの平炉である。転炉より遅いが、成分をゆっくり調整でき、屑鉄を混ぜて使えた。速さで勝った技術が、扱いやすさで負けることは珍しくない。
最初の大口顧客は、ビルではなく線路だった
安くなった鋼が最初に大量に使われたのは、建築ではなく鉄道のレールである。錬鉄のレールは、交通量の多い区間では数か月ですり減って交換が必要だった。鋼のレールは何年ももった。重い機関車を、より速く、より頻繁に走らせられるようになる。第14回で見た「運べる重さが経済を決める」という話の、続きがここにある。
そして、鋼が安いことを前提にして次の道具が組み上がっていく。鉄筋コンクリートの鉄筋(第47回)も、高層ビルの鉄骨も、その骨組みに吊るされるカーテンウォール(第48回)も、エレベーターの巻き上げロープ(第43回)も、材料が貴重品のままなら成立しない。
発明は、事情・環境・他の道具が揃って初めて意味を持つ。ベッセマーの転炉は、その典型である。原理は一八五六年に完成していた。それが世界を変えるまでには、内張りの化学と、合金の足し算と、地元の鉱石の性質と、すり減ったレールを毎年取り替えていた鉄道会社という買い手が、同時に揃う必要があった。
値段を下げることは、性能を上げることである
ものづくりの現場から見て、この話の要点は転炉の構造ではない。鋼は一八五六年に発明されたのではなく、一八五六年に安くなったという点にある。
性能が同じでも、値段が一桁下がれば、その材料は別の材料になる。刃物にしか使えなかったものが、建物と線路と船になる。用途を決めているのは性能だけではなく、価格である。良い材料を作る研究と同じくらい、同じ材料を安く作る研究が世界を変えてきた。
次回は「#50 ハーバー・ボッシュ法——空気からパンを作る」を予定している。 安い鋼が生んだ「高い圧力に耐える容器」が、こんどは食糧の話につながる。
出典・参考文献
Thomas J. Misa『A Nation of Steel: The Making of Modern America, 1865-1925』Johns Hopkins University Press, 1995
Vaclav Smil『Still the Iron Age: Iron and Steel in the Modern World』Butterworth-Heinemann, 2016