道具・発明の歴史

【道具・発明の歴史 #18】缶詰と冷蔵——食品保存が変えた都市と戦争

クイズをひとつ。缶詰と、缶を開けるための缶切り、歴史に先に登場したのはどちらだろうか。答えは缶詰である。しかも缶切りが世に出るまで、実に半世紀近い空白があった。発明が生まれてから、それを支える周辺の道具が追いつくまで、これほど時間がかかった例も珍しい。食品を長く保存するという発想自体は古くから存在したが、それを工業的な規模で実現し、都市の暮らしや戦争の形まで変えてしまったのは、この時代に登場した保存技術だった。

兵站が壊れた帝国——なぜナポレオンだったのか

事の始まりは、遠征を続けるナポレオン軍の悩みだった。だが、なぜよりによってナポレオンの時代に、これほど切実な食料保存の需要が生まれたのか。答えは軍隊の規模にある。フランス革命期の1793年、フランスは「国民総動員(ルヴェ・アン・マス)」という制度を導入した。18歳から40歳までの男性全員に登録を義務づけ、若い世代を毎年徴兵する仕組みである。ナポレオンはこの制度を土台に軍を膨張させ、1805年から1813年までの間だけで実に210万人以上を徴兵した。1812年のロシア遠征では動員兵力が60万人を超え、翌1813年には100万人規模に達したという。これは当時のヨーロッパで前例のない、まさに史上最大級の軍隊だった。

軍が大きくなればなるほど、兵士を食べさせる仕組み、つまり兵站の負担は跳ね上がる。ナポレオンは補給線を後方から引きずる代わりに、進軍先の農村から食料を現地調達する戦法を多用した。人口の多い西ヨーロッパでは通用したこの方法も、農地の乏しいロシアの広野では機能しなかった。だから遠征のたびに、新鮮な食料をどう前線まで届けるかが国家的な課題になった。これを解決する技術に懸賞金を出したのが、フランス政府と、当時パリにあった「産業奨励協会(産業振興のために賞金や特許を後押しする民間団体)」である。1810年、政府はパンと精肉の保存法を編み出した菓子職人ニコラ・アペールに、1万2000フランの褒賞金を与えた。ただし条件がひとつあった。製法を秘密にせず、本として公開することである。国家が金を出し、発明者は独占せず知識を社会に還元する——今日の技術コンテストにも通じる、当時としては先進的な制度設計だった。

密封して温める、それだけの発明——アペール法の仕組み

アペールが編み出した方法自体は、驚くほど単純である。食品をガラス瓶に詰め、コルクで栓をして密閉し、それを湯の中で長時間加熱する。たったこれだけで、肉も野菜もスープも、何か月、何年ももつようになった。

ここで注目すべきは、アペールが「なぜこの方法で食品が腐らないのか」をまったく理解していなかった点だ。食品を腐らせる微生物の存在とその働きが科学的に証明されるのは、これから半世紀以上先、フランスの化学者ルイ・パスツールが微生物と腐敗の関係を明らかにする1860年代を待たねばならない。アペールは無数の試行錯誤の末に、「密閉してから加熱すれば腐らない」という経験則だけにたどり着いた。理屈より先に成果が生まれ、理屈は後からついてくる——技術の歴史にはしばしば見られる順序だが、缶詰はその典型例といえるだろう。この瓶詰め技術はほどなく、割れにくく軽い金属製の容器へと置き換えられていく。イギリスの発明家ピーター・デュランドが、鉄板の表面にすずの薄膜を張った「ブリキ(すず引き鋼板。さびにくく食品にも使える)」で作る缶を1810年に特許化し、缶詰の原型が生まれた。

ブリキ缶とハンダ付け、そして缶切りなき50年

初期のブリキ缶は、今の缶詰とはまるで別物だった。すず職人が一枚ずつ鉄板を切り、丸めて筒にし、側面の継ぎ目と上下のふたを鉛入りのハンダで手作業によって接合する。すべて熟練職人の手仕事であり、大量生産にはほど遠かった。板厚は分厚いもので3ミリ近くにもなり、中身より缶そのもののほうが重いとさえ言われるほどだった。

そしてここで冒頭のクイズに戻る。この頑丈すぎる缶が原因で、開缶は長らく難行だった。缶詰が発明されてから、専用の缶切りが登場するまで、およそ半世紀の隔たりがあったのである。それまで人々は缶を開けるのに、ハンマーとノミを使ったり、銃剣で突き刺したりしていたという逸話が残っている。実際、初期の缶には「ノミとハンマーで上部を切り開くこと」という開け方の注意書きが添えられていたという記録もある。転機が訪れたのは1858年、アメリカのエズラ・ワーナーが、缶に突き刺す尖った刃と、ふたの縁を切り進む鎌状の刃を組み合わせた器具を発明したときだ。この発明を後押ししたのは、製鉄技術の進歩によってブリキ缶自体が薄い鋼板で作れるようになったという別の変化だった。缶が薄くなったからこそ、専用の刃物で安全に切り開くという発想が実用的になったのである。

この逆転現象は、道具や発明の歴史を考えるうえで象徴的だ。発明は、事情・環境・他の道具が揃って初めて意味を持つ。缶詰という保存技術は完成していても、それを日常的に使いこなす周辺環境——薄い鋼板の加工技術や、開缶という新しい動作に対応する道具——が整うまでは、真の実用品にはなり得なかったということである。技術の核となる発明が生まれても、それを取り巻く小さな道具や習慣が追いつかなければ、人々の暮らしに根づくまでには思いのほか時間がかかる。缶詰と缶切りの関係は、そのことを何よりも雄弁に物語っている。

軍需が押し広げた食卓

缶詰が本格的に社会へ浸透したのは、皮肉にも戦争を通じてだった。エズラ・ワーナーの缶切りも、実際に広く使われたのはアメリカの南北戦争で、大量の兵士に食料を供給する必要から缶詰の生産が拡大した局面だった。続く二度の世界大戦でも、缶詰は軍需物資として欠かせない存在になった。戦地から帰還した兵士たちが家庭に持ち帰ったのは、記憶だけでなく缶詰という保存食の便利さそのものでもあった。

こうして缶詰は軍隊の枠を超え、都市に暮らす労働者たちの食卓に定着していく。工場労働で時間に追われる人々にとって、保存が利き、調理の手間も少ない缶詰は、都市型の生活様式そのものを支える道具になった。季節や産地に縛られていた食料が、いつでもどこでも手に入るものへと変わっていく——保存食の発明が、人の働き方や暮らし方まで変えていったのである。

冷凍船が成立した条件——牧畜過剰と都市の飢え

保存技術の革新は、缶詰だけにとどまらなかった。1870年代から80年代にかけて、生鮮の肉をそのまま凍らせて運ぶ冷凍船が登場する。だが、この技術が事業として成立するには、単に「凍らせる機械ができた」だけでは足りなかった。二つの条件がそろって、初めて意味を持ったのである。

一つ目は、地球の反対側での「持て余すほどの家畜」だ。アルゼンチンの大草原パンパでは、もともと皮や脂を取るために牛が飼われており、肉そのものは輸送手段がないために大量に廃棄されていた。オーストラリアやニュージーランドでも、羊は羊毛を得るための家畜であり、羊肉は言わば副産物として扱われがちだった。つまり南半球には、運びさえすれば売れるはずの食肉が、行き場のないまま余っていたのである。

二つ目は、ヨーロッパ側の事情だ。産業革命によって工場労働者が都市に集中し、ロンドンをはじめとする大都市の人口は数十年で数倍に膨れ上がっていた。だが都市を取り巻く農地には限りがあり、増え続ける人口を養うだけの肉を、地元の牧場だけで賄うことはできなくなっていた。南半球の余剰と北半球の都市の飢え、この二つの空白を埋める物流さえ確立できれば、双方にとって利益が生まれる構図がすでにできあがっていたのである。

その物流を可能にしたのが、アンモニアを使った冷凍機の発達だった。1859年、フランスの技術者フェルディナン・カレがアンモニアを利用する吸収式冷凍機を考案し、翌年特許を取得した。その後1870年代にかけて、より効率のよい圧縮式のアンモニア冷凍機がドイツなどで実用化され、船に積み込めるほど信頼性の高い機械へと育っていく。1876年、フランス人技術者シャルル・テリエが改造船「フリゴリフィック号」でアルゼンチンから冷凍肉を運ぶことに成功したが、燃料消費が大きく採算は取れなかった。転機となったのは1882年、ニュージーランドの港を出た帆船「ダニーディン号」である。ベル・コールマン式の圧縮冷凍機を積み、羊や豚あわせて約5000頭分の肉を凍結したまま98日かけてロンドンまで運び切り、荷を開けたときにも肉は凍ったままだったという。この成功が、南半球と北半球を結ぶ冷凍肉貿易の実用化を決定づけた。

冷凍船が塗り替えた農業地図と食の階級差

冷凍船が確立されると、食料生産地と消費地の距離という制約は大きく緩和された。アルゼンチンの牛肉やニュージーランドの羊肉が、船倉で凍結されたままヨーロッパの港へと運ばれるようになったのである。これにより、南半球の牧畜業は自国民のための産業から、輸出でヨーロッパの食卓を支える産業へと姿を変えた。それまで地元で育て、地元で食べるほかなかった生鮮食品が、海を越えて届く商品へと変わっていったのである。

一方で、安価な輸入肉の流入は、ヨーロッパの農業にも影響を及ぼした。地元の牧場で育てた新鮮な肉は「上等品」として高値を保ち、遠くから凍って届いた輸入肉は「安価な代替品」という位置づけで労働者階級の食卓に並ぶようになった。同じ牛肉・羊肉でありながら、どこで育ち、どう運ばれてきたかによって価格と格が分かれる——この食の階級差は、冷凍船という技術がなければ生まれようのなかった構造である。低温を保ちながら物を運ぶという発想は、今日のコールドチェーン、すなわち生鮮食品や医薬品を冷やしたまま輸送・保管し続ける物流の仕組みの原型でもある。

缶詰という「常温で保存する発明」と、冷凍船という「低温で保存する発明」は、アプローチこそ異なるが、いずれも人と食料の距離を引き離した道具として、都市と世界を静かに書き換えていった。ナポレオンの兵站という一つの軍事的な悩みから始まった保存技術が、半世紀後には地球の反対側の牧場と大都市の食卓を結びつけ、世界の農業地図と人々の食の格差まで動かしてしまう——事情・環境・他の道具が揃って初めて発明が意味を持つというこのシリーズのテーマを、缶詰と冷蔵の歴史はあらためて教えてくれる。

次回は…(#19 合成染料——18歳の失敗実験が化学産業を生んだ)

出典・参考文献

  • スー・シェパード『保存食品開発物語』文春文庫, 2001
  • Tom Jackson, *Chilled: How Refrigeration Changed the World*, Bloomsbury, 2015
  • Nesta, "The French Food Preservation Prize" (nesta.org.uk)
  • Smithsonian Magazine, "Why the Can Opener Wasn't Invented Until Almost 50 Years After the Can"
  • napoleon.org (Fondation Napoléon), "Napoleon's 'Grande Armée'"
  • Lloyd's Register Foundation Heritage & Education Centre, "Dunedin: One of the first refrigerated ships"
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