複写機の原理が最初に形になったのは一九三八年である。ところが、事務所に普通紙のコピー機が本格的に並ぶのは一九六〇年代に入ってからだ。二十年以上のあいだ、この発明は「そんなものを誰が欲しがるのか」と言われ続けた。売れなかった理由は、機械の出来だけではなかった。
写すことが、仕事だった
発明者のチェスター・カールソンは、ニューヨークの電機会社の特許部門で働いていた。特許の仕事は書類の山である。明細書や図面の写しを何部も用意しなければならない。当時の手段は、手で書き写すか、カーボン紙を挟んでタイプを打つか、写真で撮って印画紙に焼くかだった。
複写の方法がなかったわけではない。第32回で取り上げたガリ版のような謄写版は、同じ文書を大量に刷るには優れていた。だが、手元にある一枚の書類をそのまま一部だけ写す、という用途には向かない。写真式の複写は、専用の薬品を塗った紙と、暗室のような湿った工程を必要とした。カールソンが欲しかったのは、普通の紙に、乾いたまま、すぐに写せる方法だった。
光で静電気を消す
彼は図書館で物理学の文献を読み、光が当たると電気を通しやすくなる物質があることに注目した。その板に静電気を帯びさせてから原稿の像を当てると、光の当たった白い部分だけ電気が逃げ、文字の部分に電気が残る。そこへ粉をふりかけると、電気の残ったところにだけ粉がつく。その粉を紙に移し、熱で溶かして定着させる。
一九三八年、ニューヨーク郊外の間借りの実験室で、協力者とともに初めてこれを成功させた。ガラス板に書いた日付と地名が、かすれながらも紙に写った。
しかし売り込みは難航した。大手の事務機や電機の会社を回ったが、二十社を超える企業に断られたと言われる。カーボン紙は安く、写真式の複写機もすでにある。粉を使う装置は扱いにくそうに見えた。既存の方法で間に合っている、というのは、新しい道具にとって最も手強い反論である。
小さな会社が賭けて、売らずに貸した
この技術を拾ったのは、非営利の研究機関と、ニューヨーク州ロチェスターの写真用紙メーカー、ハロイド社だった。ハロイドは「乾いた書き物」を意味するギリシャ語から、この方式をゼログラフィーと名づける。一九四九年に最初の装置を出したが、手作業の工程が多く、事務用の複写機としては使いにくかった。
完成形といえるのは、一九五九年に発表された「914」である。普通紙に、ボタンひとつで写せる。ただし機械は大きく、値段も高い。当時の事務所の感覚では、買ってまで置く品ではなかった。
そこでハロイド、のちのゼロックス社は、機械を売らずに貸すことにした。月々の基本料金に、一定枚数を超えたら一枚ごとの料金を足す。これが当たった。客は、自分が何枚コピーを取るかを知らなかった。手元に機械があれば、人は予想よりはるかに多く写す。社内報も会議資料も、とりあえず全員分を写すようになった。使った枚数に比例してお金が入る仕組みは、その「予想外の枚数」をそのまま収益に変えた。
普通紙で写せるということは、写真式の複写機のように専用紙を売って稼ぐことができない、ということでもある。その弱みを、枚数に応じた料金が埋めた。技術の長所と短所に合わせて、お金の取り方まで設計し直したわけである。英語圏では、社名がそのまま「コピーを取る」という意味の動詞として使われるほど、この機械は事務所の日常に溶け込んでいった。
日本では一九六二年、富士写真フイルムとの合弁で富士ゼロックスが設立され、同じ方式が広がっていく。教室や職場で親しまれたガリ版が主役の座を降りていくのも、この流れの中である。
必要は、道具が置かれてから生まれた
発明は、事情・環境・他の道具が揃って初めて意味を持つ。ゼログラフィーの原理は一九三八年の時点で正しかった。足りなかったのは、専用紙の要らない仕上がりと、自動で動く機構と、高価な機械を気軽に置かせる料金の仕組みである。そして何より、戦後に膨らんでいく事務仕事と書類の量という環境だった。
複写機の話でおもしろいのは、需要の調査がほとんど役に立たなかったことだ。「一枚写したい」という必要は、写す機械が手の届く場所に置かれて初めて、人々自身にも見えるようになった。まだ存在しない道具への需要は、尋ねても答えが返ってこない。新しい製品を企画するとき、この一件は今も繰り返し思い出されてよい。
次回は「#57 磁気記録——音を、鉄の粉に写す」を予定している。 紙の上の文字を写した次は、空気の振動を写す話になる。
出典・参考文献
David Owen『Copies in Seconds: How a Lone Inventor and an Unknown Company Created the Biggest Communication Breakthrough Since Gutenberg』Simon & Schuster, 2004
John H. Dessauer『My Years with Xerox: The Billions Nobody Wanted』Doubleday, 1971