道具・発明の歴史

【道具・発明の歴史 #14】運河と鉄道——「運べる重さ」が経済を決める

クイズをひとつ。産業革命といえば蒸気機関の話ばかりが語られる。では、工場を動かすその石炭を、毎日どうやってマンチェスターの街まで運んでいたのか、考えたことはあるだろうか。答えは馬の背である。そしてこの答えこそが、18世紀後半のイギリスが抱えていた本当の課題を示している。

石炭は馬の背では運べない

蒸気機関という発明がどれほど強力であっても、それだけでは産業は動かない。石炭を採掘しても、燃料として使う工場まで運べなければ意味がないからだ。当時の陸上輸送は馬車が中心で、荷馬車を引く馬は、荒れた土の道の上で車輪がぬかるみに沈むたびに大きな抵抗を受けた。良好な舗装路であっても、馬一頭が引ける荷は1〜2トンほどが限界だったと伝えられる。石炭のような重くてかさばる資源を大量に、しかも安く運ぶ手段が存在しない限り、工場は稼働できても燃料コストで採算が合わない。産業革命の主役は機械だと思われがちだが、その裏側には常に「重いものを安く運ぶにはどうするか」という、地味だが切実な問題が横たわっていた。そしてこの問題を解く鍵は、難しい新発明ではなく、単純な物理法則——摩擦——の中にあった。

水の上ならなぜ桁違いに軽いのか——摩擦の物理学と閘門の仕組み

荷馬車の車輪は、荷物の重さをそのまま地面に押しつけながら転がる。土の道では車輪がわずかに地面にめり込み、そのたびに地面を変形させながら進む。この変形にエネルギーが奪われるのが摩擦の正体で、道が悪いほど馬は重い荷物を押しのけるようにして進まなければならない。ところが水に浮かぶ船は事情がまったく違う。船体の重さは水の浮力によって支えられているので、馬が引く力は船体が水を押しのける抵抗に打ち勝つだけでよい。この抵抗は道路の摩擦よりはるかに小さく、馬一頭が曳船道(えいせんどう、川岸に沿って馬が歩くための道)から綱を引くだけで、道路の何倍もの重量を運べた。実際、幅4メートル強・全長24メートルほどの艀(はしけ)に石炭を30トン積み、それをラバ1頭だけで曳いていた運河もあったと伝えられる。同じ1頭の馬が道路の上では1〜2トンしか引けないのと比べれば、水運がいかに桁違いに安い輸送手段だったかが分かるだろう。

もう一つ、運河には陸上輸送にはない技術的な壁があった。土地には高低差があるが、人工の水路は川のように水を高いところから低いところへ流しっぱなしにはできない。この壁を越えたのが閘門(こうもん、英語でロック)である。仕組みは単純だ。水路の途中に、前後を扉で仕切った小部屋(閘室)をつくる。船が入ったら扉を閉め、上流側の底にある水門(パドル)を開けて上流の水を閘室に流し込む。水位が上流と同じ高さになったところで上流側の扉を開ければ、船はポンプを一切使わず、重力だけで高い水位へ持ち上げられたことになる。下る場合はこの逆で、閘室の水を下流側へ抜いて水位を下げればよい。この階段状の仕組みを何段も連ねることで、運河は丘陵地帯さえも越えていくことができた。

運河マニアを生んだ英国の懐具合——誰のお金が運河を掘ったか

1761年、ブリッジウォーター公が炭鉱と都市を結ぶために建設したブリッジウォーター運河は、開通後にマンチェスターの石炭価格をほぼ半分にまで押し下げたと伝えられている。この経済効果は投資家たちの目を釘付けにし、イギリス各地で運河建設ブームが巻き起こった。だが、なぜイギリスにはこれほど大量の建設資金が短期間で集まったのか。背景には、農業革命で収益力を高めていた地主層と、貿易や毛織物業で富を蓄えた商人層という、行き場を探す余剰資本の存在があった。運河会社は議会の特別法によって設立され、株式を公募して地元の地主・商人から出資を募る仕組みをとった。この株式会社という器に投機を好む資金が流れ込み、後に「運河マニア」と呼ばれる熱狂を生んだのである。ここで重要なのは、運河そのものは目新しい技術ではなかったという点だ。石炭という需要、都市という市場、そして出資を待つ余剰資本——これらが揃って初めて、運河は経済を動かす装置になった。発明は、それ単体で意味を持つのではない。事情・環境・他の道具が揃って初めて意味を持つ——このシリーズで繰り返し確認してきた法則が、ここでもそのまま当てはまる。

レールとフランジ車輪——蒸気機関と出会うとき

運河にも弱点はあった。建設できる場所が地形に制約され、冬には凍結し、閘門を一つ越えるたびに時間もかかる。次の一手を用意したのは、鉱山ですでに使われていたレール輸送と、蒸気機関という二つの技術の合流だった。レールの利点もやはり摩擦にある。鉄の車輪が鉄のレールの上を転がるとき、どちらもほとんど変形しないため、道路を走る車輪に比べて転がり抵抗はおよそ十分の一から数十分の一にまで下がる。そこに、車輪の内側につば状の出っ張り——フランジ——を取り付け、それがレールに引っかかることでハンドル操作なしに脱線せず走れる仕組みが加わり、あとは動力さえあれば自走する輸送機関になる。鉱山では以前から、坑道からトロッコを引き出すためにレールが敷かれていた。そこに、すでに実用化されていた蒸気機関を載せれば、馬に頼らず自走する輸送機関が生まれる。この発想を実用段階まで押し上げたのがジョージ・スティーブンソンであり、1829年のレインヒル・トライアルで彼のロケット号が他の候補機を退けて優勝したことで、鉄道は一気に実用の時代へ入った。ここでもやはり、レールという既存の道具と蒸気機関という既存の道具が、輸送需要という事情のもとで組み合わさったときに初めて、鉄道という新しい仕組みが立ち上がったのである。

鉄道が生んだ新しい社会のルール——時間・会計・安全

鉄道がもたらした変化は、輸送速度の向上にとどまらない。各地の市場が鉄道でつながったことで、価格は地域ごとにばらけるのではなく全国規模で連動するようになった。さらに正確な時刻表を運行するためには、街ごとにばらばらだった地方時を統一する必要が生じた。イギリスでは1847年、鉄道各社の実務を調整する組織「鉄道清算所」がグリニッジ標準時への統一を勧告し、翌年までにほとんどの路線が採用した。法律で正式な標準時と定められるのは1880年のことで、鉄道は法律に先んじて社会の時間を一つに揃えたことになる。

もう一つ鉄道が生んだのが、株式会社の会計制度である。鉄道は当時としては桁外れの建設費を必要とし、多数の株主から集めた資金の使いみちを正しく報告する義務が生じた。1844年の会社法と、鉄道など議会の特別法で設立された会社に適用された1845年の会社条項統合法によって、会計を公開する仕組みが初めて法制化された。線路や車両という巨額の固定資産をどう帳簿に計上し、価値の目減り(減価償却)をどう扱うかという議論も、この鉄道会計の現場から育っていった。

安全のための規則も、鉄道が事故を重ねる中から生まれた。列車同士の衝突を防ぐため、一区間に一列車しか入れない「閉塞(へいそく)方式」の信号システムと、信号とポイント(分岐器)を連動させて誤操作を防ぐ「連動装置」が徐々に普及し、1889年のアーマー鉄道事故を受けて成立した鉄道規制法によって、これらとブレーキの改良が全国の旅客鉄道に義務づけられた。もっとも、この熱狂は行き過ぎることもあった。運河マニアの再来ともいえる「鉄道マニア」と呼ばれる投機ブームが1840年代半ばに起き、株の頭金1割さえ払えば申し込める仕組みも手伝って、採算を度外視した路線計画に資金が殺到しては弾ける、という事態も繰り返された。

日本の選択と、シリーズテーマの回収

日本もこの流れと無縁ではなかった。1872年、新橋と横浜を結ぶ鉄道が開業する。これは単なる交通機関の導入ではなく、近代国家としての体裁を整えるための骨格そのものであり、明治政府は殖産興業policyの中でも鉄道建設をとりわけ優先させた。ただし採用されたのは、イギリス本国と同じ幅の線路ではなく、それより狭い1067ミリの「狭軌」だった。工事を指導したお雇い外国人技師エドモンド・モレルは、山がちな地形のニュージーランドでの経験を踏まえ、財政基盤の弱い明治政府にとっては、幅の広い線路ほど土地の切り開きや橋梁に費用がかさむため、狭軌のほうが現実的だと助言したと伝えられる。資金にも技術者にも乏しい新興国が、限られた予算の中で一刻も早く鉄道網を広げようとした結果の選択だったといえる。

運河にせよ鉄道にせよ、そこにあったのは奇抜な思いつきではない。石炭という燃料、都市という市場、レールという既存技術、蒸気機関という既存技術、そして出資を待つ余剰資本——それぞれはすでに存在していた要素であり、それらが特定の事情のもとで結びついたときに、初めて社会を変える力を持ったのである。

次回は…電信——情報が初めてモノより速く移動した日(#15)についてお伝えする。

出典・参考文献

  • クリスティアン・ウォルマー『世界鉄道史——血と鉄と金の世界変革』河出書房新社, 2012
  • T. S. アシュトン『産業革命』岩波文庫, 1973
  • 老川慶喜『日本鉄道史 幕末・明治篇』中公新書, 2014
  • Canal & River Trust, "Horseboating"(canalrivertrust.org.uk)
  • Royal Museums Greenwich, "Why do we have Greenwich Mean Time? 'Local' time and the Railways"(rmg.co.uk)
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