アルフレッド・ノーベルはダイナマイトを発明した——と、たいていの本には書いてある。だが、その中身であるニトログリセリンを作ったのはノーベルではない。イタリアの化学者アスカニオ・ソブレロが、一八四七年にすでに合成している。ノーベルの特許は一八六七年だから、二十年の開きがある。では、その二十年のあいだ、なぜ誰もそれを使わなかったのか。理由は、強すぎたからではない。強すぎるうえに、運ぶことも、狙って爆発させることもできなかったからである。
「これは世に出してはいけない」と発見者が言った物質
黒色火薬(第3回)は千年近く、爆薬の唯一の選択肢だった。だが岩を割る仕事に使うには力が足りない。トンネルや鉱山の現場では、硬い岩盤を前に、火薬を詰めては少しずつ削るという気の遠くなる作業が続いていた。
ソブレロが作った油状の液体は、その不満を軽々と超えていた。同じ量で桁違いの破壊力を出す。ところが同時に、常識外れに気難しかった。衝撃を与えると爆発する。振動でも爆発する。かと思えば、火を近づけても静かに燃えるだけで爆発しないこともある。ソブレロ自身が実験で顔に傷を負い、この物質は危険すぎて実用にすべきではない、という趣旨の見解を残している。発見者が公表を渋った物質、という点で、これは化学史の中でも珍しい部類に入る。
二つの発明——起爆装置と、珪藻土
ノーベル父子がこの液体に取り組み始めたのは一八六〇年代である。彼らは工場を建て、液体のまま製品として売り出した。結果は悲惨だった。一八六四年、ストックホルム郊外の工場が爆発し、アルフレッドの弟エミールを含む複数の死者が出る。輸送中の事故も相次いだ。船倉で爆発し、港湾の事務所で爆発し、荷馬車ごと消えた。当時のニトログリセリンは、目的地に着く前に爆発する可能性のある商品だった。各国は相次いで輸送を禁止する。
ここでノーベルが解いた問題は、二つある。
ひとつは、狙ったときに確実に爆発させることである。彼は少量の起爆薬を詰めた小さな管を用意し、これを爆薬の中に差し込んで先に爆発させる方式を確立した。導火線で本体に火をつけるのではなく、小さな爆発で大きな爆発を引き起こす。この雷管という部品によって、爆薬は「いつ爆発するかわからない液体」から「合図を送ったときだけ爆発する材料」に変わった。今日のあらゆる産業用爆薬は、この原理の上に立っている。
もうひとつが、一八六七年のダイナマイトである。原理はやはり素朴だ。珪藻土——珪藻の殻が堆積してできた、細かい穴だらけの土——にニトログリセリンを吸わせる。液体は多孔質の粒に抱え込まれ、揺すってもこぼれず、多少の衝撃では爆発しない。粘土のように練って棒状に固め、紙で包めば、箱に詰めて馬車で運べる。爆発力そのものは、吸わせたぶんわずかに落ちる。それでも、運べて、詰められて、命令したときだけ爆発する爆薬のほうが、圧倒的に強かった。
ノーベルが発明したのは、爆発する力ではない。爆発を扱えるようにする形式のほうである。
岩を割れる道具が、地形の意味を変えた
ダイナマイトは瞬く間に世界へ広がった。行き先は戦場ではなく、まず土木と鉱山である。
アルプスを貫く長大トンネル、山を削って通す鉄道、大陸を切り離す運河、露天掘りの鉱山。それまで「迂回するしかない場所」だった岩盤が、日数と費用で見積もれる作業対象に変わった。第14回で見たとおり、運べる重さと経路が経済を決める。ダイナマイトは、その経路を引く自由度を一気に押し広げた道具だった。銅も鉄も石炭も、掘り出す速度が上がり、値段が下がる。二十世紀の巨大構造物は、この安価で確実な破砕手段なしには成立していない。
発明は、事情・環境・他の道具が揃って初めて意味を持つ。ダイナマイトの場合、揃った条件は、鉄道建設という巨大な需要、雷管という起爆手段、珪藻土という身近な多孔質材料、そして化学工業の量産体制だった。ソブレロの液体は一八四七年から一滴も変わっていない。変わったのは、それを取り巻く条件のほうである。
発明者は、使い道を決められない
ノーベルはその後、より扱いやすい爆薬を次々に開発し、世界各地に工場を持つ実業家になった。同時に、自分の発明が兵器として使われることも避けられなかった。兄の死を自分の死と取り違えた新聞が、「死の商人、死す」という見出しで追悼記事を出し、それを本人が読んでしまった——という逸話が伝えられている。この話の真偽は確かめようがないが、彼が遺言で財産の大半を賞の基金に充てたことは事実である。
道具は、作った人の意図から離れて働く。この連載で繰り返し確かめてきたことが、ここでも変わらない。山にトンネルを開ける道具と、人を殺す道具は、化学的には同じ棒である。違うのは、それを誰が、どこで、何のために詰めるかだけだ。そしてその判断だけは、いまだにどんな発明でも自動化できていない。
次回は「#45 リチウムイオン電池——持ち運べる電気は、なぜ百年かかったのか」を予定している。 電池そのものは第20回で見たとおり二百年以上前からある。それが手のひらの中に入るまでに、何が足りなかったのか。
出典・参考文献
Kenne Fant『Alfred Nobel: A Biography』Arcade Publishing, 1993
Jack Kelly『Gunpowder: Alchemy, Bombards, and Pyrotechnics』Basic Books, 2004