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道具・発明の歴史

【道具・発明の歴史 #42】ペニシリン——発見から十六年、薬にならなかった薬

ペニシリンが発見されたのは一九二八年である。そして実際に多くの負傷者を救い始めたのは一九四四年だった。あいだに十六年ある。その間、細菌感染で死ぬ人はいくらでもいた。効く物質があると論文にも書かれていた。それでも薬にはならなかった。この十六年に何が足りなかったのかを追うと、答えは医学の外側から出てくる。足りなかったのは知識ではなく、作る技術だったのである。

有名な偶然と、その後の長い沈黙

物語の入口はよく知られている。ロンドンの研究者アレクサンダー・フレミングが、休暇から戻って培養皿を片付けようとしたところ、青カビの生えた一枚だけ、まわりの細菌が溶けたように消えていた。彼はこのカビが何かを出していると考え、ペニシリンと名づけ、報告した。

だが物語はそこで止まる。フレミングはこの物質を純粋に取り出すことができなかった。カビの培養液の中にごくわずかしか含まれず、しかも不安定ですぐ壊れてしまう。試験管の中で細菌を殺せることは示せても、人の体に打てる形にできない。論文は残ったが、患者は救えなかった。医学界の反応も鈍く、ペニシリンは十年ほど、有望かもしれない実験室の話題として眠ることになる。

「効くかどうか」より「足りるかどうか」

再び動き出すのは一九三〇年代の終わり、オックスフォード大学である。ハワード・フローリー、エルンスト・チェイン、ノーマン・ヒートリーらの一団が、古い文献を拾い直す形でペニシリンに取り組み始めた。彼らは精製法を工夫し、感染させたネズミにペニシリンを与えた群だけが生き延びるという、決定的な実験に成功する。

問題は、次だった。ネズミと人間では体重が桁違いに違う。一人の患者を治療しきるだけの量が、どうしても作れない。実際、初めて本格的に投与された重症の患者は、劇的に回復しかけたところで薬が尽き、そのまま亡くなっている。研究室は患者の尿から未代謝のペニシリンを回収して再び投与するところまでやっていた。それほどまでに、現物が足りなかった。

このときオックスフォードの「工場」は、実験器具の寄せ集めだった。ヒートリーが考案した平たい培養容器に液を張り、表面にカビを育てる。牛乳瓶、ビスケット缶、便器まで動員されたと伝えられる。研究者と、雇われた女性たちが並んで培養液を扱った。それはもはや実験ではなく、生産である。しかし手作業の表面培養では、どれだけ人手を注いでも量は増えない。

主役は、カビではなく発酵タンクだった

一九四一年、フローリーとヒートリーはアメリカへ渡る。戦時下のイギリスに新しい製造設備を建てる余裕はなく、生産の当てを探すためだった。

転機は、イリノイ州にあった農務省の研究所で訪れる。ここは農産物の利用法を研究する施設で、医学の中心地ではない。だがこの場所には、トウモロコシのデンプンを取ったあとに出る廃液が大量にあった。試しにこれを培養液に加えたところ、ペニシリンの収量が跳ね上がる。さらに世界中からカビが集められ、最終的には地元の市場で買われた傷んだメロンに生えていた株が、飛び抜けて高い生産能力を示した。この株に放射線を当てて変異させ、より多く作るものを選び続けることで、収量はさらに何十倍にも押し上げられていく。

そしてもうひとつ、決定的な転換があった。表面で育てるのをやめ、巨大なタンクの中で液を撹拌し、空気を吹き込みながらカビを育てる深部発酵への切り替えである。これは製薬の技術ではない。醸造やクエン酸の製造で培われた、発酵工業の技術だった。すでにタンクでの発酵を手がけていた化学会社が、その経験をそのまま持ち込んだ。培養皿はタンクになり、生産量は比較にならない規模へ跳ねた。

発明は、事情・環境・他の道具が揃って初めて意味を持つ。ペニシリンという物質は一九二八年から何ひとつ変わっていない。変わったのは、廃液という安い栄養源、よく育つ株、発酵タンクという既存の産業設備、そして「兵士の感染死を減らせ」という国家的な要請である。これらが揃った一九四三年から四四年にかけて、生産量は年単位で桁が変わり、大陸への上陸作戦に間に合った。

発見者ではなく、量産した者が世界を変える

一九四五年、フレミング、フローリー、チェインの三人にノーベル賞が贈られた。ただし、実際に薬を世に出す最後の一歩を担ったのは、発酵タンクの前に立っていた化学工学の技術者たちである。新しいものを見つける仕事と、それを誰もが使える形にする仕事は、まったく別の仕事だ。このシリーズで繰り返し確かめてきたとおり、後者を担う人の名前は、たいてい歴史に残らない。

なお、フレミングは受賞講演で、薬を中途半端に使えば細菌は必ず耐性を身につける、と明確に警告している。発見から百年近くたった今、その予言のほうが現実味を増している。道具は、手に入れた瞬間より、使い方を誤り始めてからのほうが難しい。

次回は「#43 エレベーター——発明されたのは『箱』ではなく『落ちない仕組み』だった」を予定している。 人や荷物を上げる装置ははるか昔からあった。それなのに、なぜ高層建築は十九世紀後半まで現れなかったのか。

出典・参考文献

Eric Lax『The Mold in Dr. Florey's Coat: The Story of the Penicillin Miracle』Henry Holt, 2004

Robert Bud『Penicillin: Triumph and Tragedy』Oxford University Press, 2007

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