世の中の発明のほとんどは、ひとつあればとりあえず役に立つ。石器はひとつあれば物が切れるし、機械時計はひとつあれば時刻がわかる。ところが、一台だけでは絶対に何の役にも立たないという、きわめて奇妙な発明がある。電話である。二台そろって、ようやく会話ができる。百台つながって、初めて本当の価値が生まれる。しかも、もうひとつ奇妙な事実がある。電話を作り上げた男は、そもそも電話を作ろうとしていたわけではなかったのだ。
電信を改良しようとして、声が乗った
以前このシリーズで取り上げた電信は、十九世紀の半ばには社会の神経網になっていた。だが成功したがゆえの悩みも抱えていた。送りたい通信が増えすぎて、線が足りない。そこで技術者たちが競って挑んだのが、一本の線に複数の電信を同時に流すという課題である。
アレクサンダー・グラハム・ベルも、その挑戦者の一人だった。ただし彼の本業は通信技師ではない。聴覚障害を持つ人の教育と、発声法の研究である。母も妻も耳が不自由だったベルは、人の声がどのように作られ、どう伝わるのかを職業として考え続けていた。
彼の着想は、音の高さの違いを使って信号を仕分けるというものだった。音叉のように、決まった高さの音にだけ反応する部品を並べれば、複数の通信を混ぜても分けられる。ところが、音を電気に変え、電気を再び音に戻す装置をいじり続けるうちに、ベルは別の問いにたどり着く。信号の高さを送れるなら、声そのものを、まるごと線に乗せられるのではないか。
一八七六年、ベルは電話の特許を取得する。同じ日に、イライシャ・グレイという技術者もよく似た内容の書類を特許庁に提出していた。ここでも、機が熟した技術は一人の天才を待たずに複数の場所へ同時に現れている。
最初、それは「玩具」と呼ばれた
当時最大の通信会社が、ベルの特許の買い取りを断ったという逸話が残っている。真偽はともかく、断る理屈は当時の常識からすればまっとうだった。通信とは電信のことであり、電信には文字が残る。契約にも証拠にもなり、大陸を越えて届く。それに比べて電話はどうか。記録が残らず、届く距離は短く、しかも一度に話せる相手はたった一人。当時の物差しで測れば、電話は電信に全項目で負けていたのである。
電話を電話にしたのは、交換機だった
問題は、その物差し自体がずれていたことだ。二人をつなぐだけなら、二軒のあいだに専用の線を張ればいい。だが十人が互いに話せるようにするには四十五本、百人なら四千九百本を超える線がいる。町じゅうが電線で埋まってしまう。電話機をいくら改良しても、この問題は絶対に解けない。
答えは、電話機の外にあった。町の中心に交換局を置き、各家からはそこへ一本ずつ線を引く。誰と話したいかを伝えれば、交換手が線をつなぎ替える。一八七八年、アメリカのニューヘイブンで商用の交換局が動き出すと、必要な線の数は一気に現実的な範囲に収まった。やがて交換手という新しい職業が生まれ、その仕事は少年から女性へと移っていく。さらに一八九〇年代には、葬儀屋のアルモン・ストロージャーが、交換手を介さない自動交換機を考案する。競争相手に客を回されていると疑ったことが動機だった、という逸話がついて回る発明である。
発明は、事情・環境・他の道具が揃って初めて意味を持つ。ベルが作った送話器と受話器は、それだけでは高級な玩具にすぎなかった。交換機という、まったく別の発想の装置が加わって初めて、電話は電話になった。電話網の主役は、実は電話機ではなかったのである。
符号を知らない人が、初めて自分で通信した
電話にはもうひとつ、電信が持ち得なかった決定的な長所があった。使うのに、特別な技能がいらないことである。電信は符号を覚えた専門の技手が要る。つまり自分の言葉は、必ず他人の手を通ってから相手に届いた。電話は違う。受話器を取って話せばいい。文字が書けなくても、符号を知らなくても使える。
だから電話は、会社の通信室ではなく、家の廊下に置かれた。記録の残らない、その場かぎりの、雑談まじりのやり取り。かつて劣位に見えたその性質こそが、電話を仕事の速度と人の距離感を変える道具に押し上げていった。
次回は「#40 無線とラジオ——欠点が、そのまま商品になった日」を予定している。 線でつながって初めて意味を持った通信が、こんどは線を捨てる。その途中で起きた、思いがけない用途の転換を追う。
出典・参考文献
Carolyn Marvin『When Old Technologies Were New: Thinking About Electric Communication in the Late Nineteenth Century』Oxford University Press, 1988
Claude S. Fischer『America Calling: A Social History of the Telephone to 1940』University of California Press, 1992